優里のデビューまでの道のり|活動開始のきっかけ・転機を解説

優里のデビューまでの道のり|活動開始のきっかけ・転機を解説
優里のメジャーデビューは、2020年8月9日に発表した「ピーターパン」です。その前には、好きな曲を聴いて歌っていた時間、バンドでの経験、路上ライブやSNSへの投稿、自分の曲を作って届ける過程がありました。「ドライフラワー」で知られる以前の歩みをたどると、歌唱を聴いてもらう行動が出会いを生み、作品を発表する機会へつながったことが分かります。この記事では、優里が音楽に親しんだ背景から、ソロ活動、デビュー前の転機、メジャー作品の発表までを詳しく紹介します。全活動を追う経歴記事とは異なり、初期の経験とデビュー直後の活動を中心に、本人の発言と確認できる出来事から、優里が歌手として歩み始めた道のりを解説します。
優里の活動開始前の経歴
優里は1994年3月23日生まれで、千葉県幕張出身です。現在は本人の名前で作品を発表するシンガーソングライターですが、人前で歌う活動が始まる前は、好きな音楽を自分で選び、繰り返し聴く時間を過ごしていました。高校生の頃には日本のバンドも聴くようになり、BUMP OF CHICKENを好んでいたと話しています。地元にある幕張メッセの公演へ足を運んだ経験もあり、客席の近くにメンバーが来て好きな曲を歌ったときの喜びを振り返りました。スピッツのCDが家にあり、横浜アリーナでライブを見たことも語っています。歌手になる前の経歴を考える際には、どこで育ったかだけでなく、どう音楽に触れていたかも手がかりになります。録音された曲を聴くことと、演奏している人を同じ会場で見ることの両方があったのです。ただし、この時期の公演体験のすべてが後の楽曲へ直接影響したと断定はできません。確認できるのは、本人が音楽を聴くだけでなく、好きなバンドを見るために出かける聴き手だったことです。後に自分が歌う側へ進む前には、歌を受け取る側としての具体的な経験がありました。
プロとしての活動へ進む前から、優里は歌うこと自体を楽しんでいました。高校時代に仲間と演奏していた頃についても、最初から音楽を仕事にすることを決めていたわけではなく、楽しくバンドをやっていたと説明しています。活動開始前から一直線にデビュー計画を立てていた人物として描くより、好きな音楽に関わる時間が、次第に人前で歌う行動へ変わったと捉える方が本人の話に沿っています。この違いは、その後の経歴を理解するうえでも重要です。歌手として結果を出すことより先に、曲を聴く、好きな声を楽しむ、友人と演奏するという音楽との関係がありました。最初に音楽へ近づいた理由と、後にプロとして作品を発表する理由は、同じ一度の決断ではありません。聴くことから始まった関心が、楽器を持ち、歌を聴いてもらう段階へ進んでいます。デビューまでの歩みを見るときは、メジャー作品の発売日だけを活動の出発点と考えず、それ以前の音楽との関わりも含めて読む必要があります。優里の場合、活動前の経験は、家庭や地元、学校生活の中で好きな音楽と接していた時間として確認できます。その延長に、声を使って人へ届ける活動が生まれました。
優里が音楽に興味を持ったきっかけ
音楽に親しんだ背景として、優里が挙げているのは母親の好みです。母親が洋楽ロックを聴いていたことから、自分もBon Jovi、Queen、AC/DCなどを好きになりました。小学生の頃には、塾の行き帰りにCDウォークマンを使い、気に入った数枚を繰り返し聴いていたと話しています。また、音楽番組「ベストヒットUSA」も好きで、気に入った曲をメモし、誕生日やクリスマスにCDをお願いしていたそうです。家庭で耳にした音楽を受け取るだけでなく、自分で曲を選び、手元に集める楽しみへ進んでいたことが分かります。音楽への興味は、新しい作品を一度だけ聴くことより、何度も聴きたい曲を見つける行動として表れています。本人は、家でもポータブルCDプレイヤーを使い、歌を真似していた子どもだったと振り返っています。曲のメロディーだけでなく、歌っている人の声にも関心が向いていたのです。周囲の友人と音楽の話が合わないこともあったという説明からは、流行しているから選ぶのではなく、自分が気に入った作品を聴いていた姿も読み取れます。好きな曲を自分で選び、歌ってみる経験が、音楽に近づく方法でした。
憧れは歌だけに向いていたわけではありません。優里は、Bon Joviのリッチー・サンボラを好み、ギターを弾きながら歌う姿に惹かれていたと話しています。楽器と声を使って人前で表現する姿が、自分でも演奏してみたいという関心につながりました。ここでは、洋楽を聴いていたことから現在の歌声が必ずこのように形成された、と技術的な因果関係まで決め付ける必要はありません。本人の言葉から分かるのは、好きな歌い手や演奏者への憧れが、聴く時間から演奏する行動へつながったことです。また、Bon Joviは後になっても、つまずいたときに聴くと頑張ろうと思える音楽として挙げられています。幼少期に好きだった曲が、その場限りの好みではなく、本人を支える存在として残っているのです。デビューに至る経歴には、SNSの広がりや他の歌手との出会いも登場しますが、それより前に、歌を好きでいられる理由がありました。母親の聴く音楽、自分で集めたCD、歌や演奏者を真似する楽しみという順番を見ると、興味が一つの出来事から突然生まれたのではないことが分かります。音楽を生活の中で楽しむ経験が、後に自分の声で歌を届ける行動の背景になっています。
優里が活動を始めたきっかけ
優里が実際に演奏活動へ進むきっかけは、高校時代に友人とバンドを組んだことでした。初めはエレキギターを買い、ギタリストを目指していたものの、思うように弾けず、一度のライブでその担当を離れたと話しています。一方、ギターとコーラスで校内ライブに出た際、先輩から歌を評価され、ボーカルとして誘われた経験も語っています。楽器への憧れで始めた行動が、声を聴いてもらう機会を作り、歌う役割へつながった流れです。コピーバンドではThe OffspringやGreen Dayの楽曲を演奏しました。好きな歌を一人で真似する段階から、仲間の演奏と合わせ、人前で届ける段階へ進んでいます。こうした経緯を見ると、歌手としての役割は、最初から完成していた計画ではなく、演奏してみた経験と周囲の反応から形になったと理解できます。楽器がうまくいかなかった出来事も、音楽そのものをやめる理由にはなりませんでした。本人が好きだった歌を中心に活動を続ける方向へつながり、後のボーカルとしての経験を積む入口になっています。
高校卒業後は、ライブハウスにも出演するようになりました。しかし、校内で歌っていた頃のようにはうまくいかなかったと振り返っています。学校の外に出て、まだ自分を知らない人へ歌を届ける段階では、別の難しさがあったのです。それでも続けた理由について、優里は、日常でつらいことがあっても帰宅してギターを弾いたり歌ったりすると、その日を楽しい気持ちで終えられたと説明しています。この経験から、さらに歌で挑戦したいと思うようになりました。活動の継続は、すぐに大きな成果が出たことだけでは説明できません。歌う時間が生活を支え、もう少し続けたいという気持ちにつながっていたことが、本人の発言から分かります。その後は都内でのバンド活動も経験し、ソロで歌う方向へ進んでいきます。高校の演奏と後年の活動を、同じ一つのバンドの経歴としてまとめるのではなく、歌う場を変えながら経験を重ねた流れとして見る必要があります。仲間と歌う楽しさ、校外の会場で感じた難しさ、歌を続ける理由を確かめた時間が、それぞれ次の行動に関わっています。優里の活動開始には、好きな音楽を演奏することから、知らない人にも自分の声を聴いてもらおうとすることへの変化がありました。
優里のデビュー前の活動
ソロ活動が広がり始めた時期として、公式プロフィールに示されているのが2019年6月です。この頃からInstagram、Twitter、TikTokへの歌唱動画投稿を始め、SNSやYouTubeを通じて声が知られるようになりました。本人も、弾き語りを投稿する人を見て、自分でもやってみたいと思ったことを話しています。路上ライブでは、その場にいる人へ歌を届け、動画では別の時間や場所にいる人にも歌唱を見てもらえます。ライブハウスの一回の出演だけに限られない接点が、活動へ加わったのです。この段階では、すでに知られた楽曲をカバーすることにも意味がありました。原曲を知る人が、同じ歌を優里の声で聴き、歌い方の違いに触れる入口になるためです。本人が自分で発信することに加え、歌唱動画が共有されれば、本人の名前を先に知らない人も声に出会えます。2019年の活動は、単にSNSのアカウントを持ったという変化ではなく、歌を届ける場所と方法を本人が増やした時期として捉えられます。バンドの中で歌っていた活動から、自分の声を中心に発信する活動へ移っていきました。
同時に、自分で曲を作る必要も感じるようになりました。本人によれば「かくれんぼ」を作り始めたのは2019年の夏頃で、カバーだけでなくオリジナル曲も作ろうと考えたことが出発点です。ギターを弾きながら口ずさんだメロディーをボイスメモに残し、その中の言葉をもとに曲を膨らませました。最初から失恋の歌を作ると決めたのではなく、気に入ったフレーズから場面や感情を広げていったという説明です。自分の経験、友人から聞いた話、想像した情景を組み合わせながら歌詞を作っています。これは、歌詞の出来事がすべて本人にそのまま起きたという意味ではありません。現実の材料を使いながら、作品の人物や物語を作る方法です。歌唱動画で既存の歌を届ける経験に、自分の詞とメロディーを形にする活動が加わりました。デビュー前には、人から声を知ってもらうことと、本人の作品を作ることが同時に進んでいたのです。路上ライブや動画だけを見ていると歌唱の経歴に注目しやすくなりますが、その裏ではシンガーソングライターとして曲を生み出す作業も始まっていました。この二つが揃ったことが、次に自作曲を録音して届ける機会へつながります。
優里が経験した大きな転機
デビュー前の大きな転機が、渋谷での路上ライブを通じたMY FIRST STORYのボーカル、Hiroとの出会いです。優里が同バンドの「『花』-0714-」を歌っていた際、Hiroが歌唱に加わりました。カバーしていた作品の歌い手と、実際に歌を交わす機会を得た出来事です。その後、Hiroが監修する形で「かくれんぼ」のレコーディング企画が行われました。路上で聴いてもらっていた声が、本人のオリジナル曲を録音して届ける機会につながった点が重要です。ただ有名な歌手に会ったことだけが転機だったわけではありません。優里には、路上で歌ってきた活動と、その頃に作った自分の曲がありました。そのため、出会いを歌唱の話題だけで終えず、作品を形にする経験へつなげることができたのです。Hiroが歌を聴いた機会と、オリジナル曲の録音は別の出来事ですが、経歴の中では前後につながっています。歌唱を届ける活動と、曲を作る活動の両方が進んでいたことが、出会いの後に何を発表できるかにも関わっていました。
2019年11月30日には、MY FIRST STORYの全国ツアー最終公演が行われたさいたまスーパーアリーナで共演しました。アンコールで「かくれんぼ」と「『花』-0714-」を披露しています。前者は優里の自作曲、後者は出会いの場面にも関わるMY FIRST STORYの曲であり、カバーから始まった関係と、本人の作品の両方を大きな会場で示した形です。当時のライブレポートでは、緊張を感じさせながらも歌声を響かせる様子が伝えられています。路上とは異なる演奏環境で、自分を知らない観客もいる会場に歌を届ける経験になりました。ここでの共演はメジャーデビューより前の出来事です。大きなステージに立つことと、メジャー作品を発表することは、同じ節目ではありません。優里は、正式なメジャーデビューに先立ち、他のアーティストと作品を録音し、広い会場で歌う経験を得ていました。この時期の転機は、偶然の出会いだけを強調するより、出会った後に制作と共演が続いたことから理解できます。路上で歌う行動が新しい関係を生み、その関係が自作曲を聴いてもらう場につながった流れが、デビュー前の経歴の中で具体的に確認できます。
優里がデビューにつながったきっかけ
2019年12月1日、優里は自身初のオリジナル作品「かくれんぼ」を配信しました。動画や共演を通じて知った声を、本人の曲として繰り返し聴ける形にした発表です。同曲はiTunes総合チャートで4位に入り、TikTokなどの動画投稿にも使用されました。さらに2020年2月28日には、インディーズ作品「かごめ」をリリースし、iTunes総合チャートで10位を記録しています。メジャーデビュー前の配信曲が2作続けてトップ10に入ったことは、歌唱への注目に加え、本人の作品が聴かれ始めていた具体的な実績です。初めての自作曲を出しただけで止まらず、別の曲を発表しているため、音楽活動が一度の話題に限られていなかったことも分かります。また、曲を使う動画やカバーを歌う人が現れると、本人の投稿とは別のところにも音楽との接点が生まれます。路上で聴いてもらう、本人が動画を発信する、作品が配信される、聴き手が曲を使うという届け方が重なりました。デビューへ至る時期に何が積み重なっていたかを考えると、声だけでなく、本人の曲を聴ける環境が整ったことにも意味があります。
2020年7月10日には、YouTube企画「THE HOME TAKE」で「かくれんぼ」の一発撮り歌唱を披露しました。この映像では、MY FIRST STORYのNobが特別なアレンジを担当しています。歌の録音作品を聴く方法に加えて、その曲を別の伴奏で歌う姿を見る方法が生まれました。「THE HOME TAKE」は自宅やプライベートスタジオから音楽を届ける企画で、まだメジャーデビュー前の優里の歌唱も紹介しています。ここまでに、オリジナル曲の配信実績と、歌唱を見せる映像の両方が揃っていました。ただし、どの発表や映像がレーベルの契約判断を直接決めたのかという、具体的な社内経緯までは公表情報から確認できません。確認できるのは、デビュー前に自作曲が聴かれ、他の表現者と作る録音や映像にも参加し、その後にメジャー作品の発表へ進んだ順序です。デビューのきっかけを一つのスカウトや一回の審査に置き換えるより、作品と歌唱を届けた複数の経験から理解する方が正確です。自分の曲を持ち、その声で歌うことを動画と音源で示せた点が、この時期の活動の具体的な到達点でした。
優里のデビュー当時の活動
優里は2020年8月9日、デジタルシングル「ピーターパン」でソニーミュージックからメジャーデビューしました。「かくれんぼ」はデビュー前に発表したオリジナル曲であり、メジャーデビュー曲は「ピーターパン」です。この違いを押さえると、注目され始めた時期と、メジャー作品の発表を混同せずに理解できます。本人は「ピーターパン」を、自分の決意が前面に出た曲と説明し、メジャーデビュー曲はこの作品にしたかったと話しています。歌うことを続けたい気持ちと、これから自分の道を進む意志を示す選択でした。物語の人物を描く曲に対して、自分の考えを伝える作品を出すことで、曲を知っていた人にも本人の別の面を届けています。デビュー当時の優里は、失恋を歌う人という一つの印象だけを示していたわけではありません。自作曲の題材を変えながら、自分がどのように音楽を続けたいかも歌にしていました。「ピーターパン」の発表は、所属や発売形態の節目であると同時に、歌手としての決意を作品で伝える出来事です。活動を広げることと、歌を好きでいる自分の気持ちを保つことが、本人の言葉の中でつながっています。
2020年9月2日には「ピーターパン」のミュージックビデオが公開されました。監督はエレキコミックのやついいちろう、主演はダンサーのyurinasiaです。街やオフィスの日常の中を踊っていく姿で、楽曲のメッセージを表現しています。本人の歌唱を撮った映像に加え、他の表現者が身体の動きで曲を伝える作品も生まれたのです。さらに10月16日には、無観客ワンマンライブ「繋がり~かくれんぼからドライフラワーへ~」を配信しました。自作曲とカバーを交えた公演で、新曲「ドライフラワー」も初披露しています。デビュー直後も、他の歌手の曲を歌う活動を手放さず、自分の作品と同じ公演で届けていたことが分かります。会場で観客を迎える形とは異なりますが、画面を通じてまとまった歌唱を聴いてもらう活動です。デビュー当時には、新曲を配信する、ダンスを用いた映像を作る、オンラインで公演を行うという複数の発表方法がありました。路上やSNSで歌っていた頃から、歌を届ける場を変えながら続ける姿勢が見えます。メジャーデビューを境に過去の活動が途切れたのではなく、初期の歌唱経験を生かしながら、作品と公演の形を増やしていました。
優里のデビューがその後の活動に与えた影響
デビュー後の2020年10月25日には、「ドライフラワー」が配信されました。「かくれんぼ」に登場した女性のその後を描くアフターストーリーで、最初のオリジナル曲で作った人物と世界が、次の作品へ続いています。デビュー前の曲が過去の実績として残るだけでなく、新しい制作の出発点にもなった点が重要です。同日には「かくれんぼ - From THE FIRST TAKE」も配信され、初期の代表曲を別の歌唱で聴ける作品が加わりました。その後、2021年1月27日付のBillboard JAPANストリーミング・ソング・チャートでは、「ドライフラワー」の累計再生回数が1億回を突破しました。男性ソロアーティストとして当時の歴代最速での到達と発表されています。この実績は、メジャーデビューと同時にすべての知名度が完成したのではなく、後に発表した作品でも聴取が広がったことを示します。最初の曲を作る経験、人物の続きを考える制作、別の歌唱を届ける発表が、その後の活動に生きています。デビュー前後を続けて見ることで、初期の作品と後のヒット曲が切り離されていないことが分かります。
2021年には、アニメ「SK∞ エスケーエイト」のエンディングテーマ「インフィニティ」を発表しました。初の書き下ろしタイアップ曲で、友情をテーマにしています。架空の恋愛の物語や自分の決意を歌う活動から、映像作品に向けて別の人間関係を描く活動へ広がった例です。また、初のワンマンツアー「優里 TOUR 2021~御伽噺のようなハッピーエンドへ向かって~」も行われ、バンドとともに各地で歌を届けました。2022年1月12日には、デビュー前後の曲を含む1stアルバム「壱」を発表しています。個々の配信作品を一枚で聴くと、作品のつながりと、曲ごとの違いの両方を確認できます。こうした展開を、メジャーデビューという肩書きだけが生んだ結果と断定することはできません。しかし、デビュー前に積み重ねた歌唱、自作曲、映像発信が、その後の主題歌や公演にも続いていることは確認できます。本人は、自分の曲を歌ってくれる人を見ると、カバーされる側になれた喜びを感じるとも話しています。他の人の歌を届けていた活動から、自分の歌を誰かが歌う活動へ関係が広がったのです。デビューは完成の瞬間というより、初期の経験を使って次の作品や歌う場を増やしていく節目だったと捉えられます。
まとめ|優里のデビューまでの歩みを振り返ろう
優里のデビューまでの道のりには、音楽を好きでいる時間と、歌を人へ届ける行動の積み重ねがあります。家庭で親しんだ洋楽や好きなバンドへの憧れから演奏を始め、歌声を聴いた周囲の反応を受けてボーカルとして活動しました。その後、ライブハウス、路上、SNSへ歌う場を広げ、自分で曲を作る活動も始めています。Hiroとの出会いは録音と大きな会場での共演につながり、「かくれんぼ」「かごめ」の配信や「THE HOME TAKE」への出演を経て、2020年8月に「ピーターパン」でメジャーデビューしました。デビュー前の代表曲とメジャーデビュー曲を区別すると、経歴を正確に理解できます。デビュー直後も、自作曲とカバー、音源と映像、公演を組み合わせる活動が続き、最初に作った物語は次の作品へ受け継がれました。一つの出会いだけで説明するより、歌唱を届け、曲を作り、その曲を聴ける形にした流れを見ることが大切です。初期の作品と当時の歌唱映像を合わせて聴くと、優里がどのような気持ちで歌を続け、次の活動へ進んだのかを、具体的な作品から感じ取れるでしょう。


