MILLENNIUM PARADEのデビューまでの道のり|活動開始のきっかけ・転機を解説

出典:Last.fm

MILLENNIUM PARADEのデビューまでの道のり|活動開始のきっかけ・転機を解説

MILLENNIUM PARADE(ミレニアムパレード)の2019年のデビューは、常田大希の演奏経験、仲間との共同制作、音楽と映像を結び付ける試みを、集団の表現として発表した節目です。映画やアニメのテーマ曲から知った人にとっても、その原点を知ると作品の見え方が変わるでしょう。この記事では、活動開始前の背景から音楽への関心、初期の録音やライブ、再始動の転機、配信デビューと初公演までを掘り下げます。主宰者の個人史と集団の歩みを区別しながら、どの経験がデビューにつながったのかを整理します。活動全体の年表を追う記事とは異なり、2019年前後に形になった制作方法と、その準備に重点を置いて解説します。

MILLENNIUM PARADEの活動開始前の経歴

MILLENNIUM PARADEの活動開始前を考えるうえで中心になるのが、主宰者である常田大希の演奏家としての経験です。常田は長野県伊那市で育ち、高校時代にはチェロの練習に本格的に取り組んでいました。本人は、当時は毎日長い時間を演奏に費やし、コンクールにも出場していたと振り返っています。その後、東京藝術大学へ進み、チェロを専攻しました。専門的に楽器を学ぶ環境で、常田は練習室にこもって演奏していたと話しています。この時点で重要なのは、後のプロジェクトを率いる人が、作曲や音源制作だけでなく、実際に楽器を演奏する経験を持っていたことです。音源の中でどのような音を鳴らすかと、演奏者がその音をどう表現するかは、作品づくりの異なる側面です。MILLENNIUM PARADEの原点を知る際にも、楽器を学ぶ過程と、後に制作者として活動する過程を分けて見る必要があります。高校から大学へ進むまでの歩みは、グループの結成そのものではありませんが、演奏と制作を結び付けるための背景になっています。

常田は大学を約1年で離れました。その理由について、既存の作品を演奏するクラシックの世界と、自分が創作で目指す方向の違いを説明しています。この選択は、クラシックの経験が失われたことを意味するものではなく、学んだ技術をどのような活動へ使うかを考える節目として捉えられます。後の作品では弦楽器やオーケストラの響きと、電子音やビートが組み合わされますが、その前には、楽器を弾くことと自分の作品を作ることの両方に向き合う時期がありました。また、本人は大学を離れた後にインドを旅した経験も語っています。バラナシで日々行われる祭りや音楽に触れ、シタールやタブラなどの楽器も購入しました。旅先でも、現地の音楽と楽器に関心を向けていたことが分かります。活動開始前には、学業、演奏、旅、創作への関心という複数の経験があり、それぞれの意味を区別して理解することが大切です。デビューへの道のりは、大学での評価や一度の受賞から直線的に決まったわけではありません。専門的な演奏経験を持つ常田が、自分の音楽を作り、別の分野の仲間と発表する方法を選んでいく過程にあります。この背景を押さえると、その後に固定した編成だけに縛られない活動を進めたことも、創作の選択として理解しやすくなります。

MILLENNIUM PARADEが音楽に興味を持ったきっかけ

常田大希が音楽に興味を持った原点には、楽器や音楽が身近にある家庭環境があります。両親はジャズとクラシックのピアノに親しんでおり、本人は家に楽器が多く、自然に音楽へ触れていたと話しています。5、6歳ごろには近所のチェロ奏者から教わり、チェロを始めました。本人の説明では、ある一度の出来事によって突然音楽を志したというより、生活の中で演奏や音楽への関心が育ったことが分かります。家庭で聴く音楽と、自分が楽器を弾く経験が重なっていた点が、創作の入口になりました。一方、聴いていた音楽はクラシックに限られていません。2016年の対談では、ジミ・ヘンドリクスやレッド・ツェッペリンが好きだったこと、中学生のころにはBLANKEY JET CITYやTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTに親しんでいたことを語っています。チェロの音に魅力を感じながら、歪んだギターやノイジーなロックにも惹かれていたのです。異なる音の質感を同時に好きだったことは、後に複数の音楽様式を扱う制作を理解する手がかりになります。

中学生のころには曲を作り始めており、常田はビートルズの多重録音から受けた刺激にも触れています。多重録音は、別々に録音した歌や楽器を重ねて一つの音楽にする方法です。演奏する楽しさに加え、音を配置して組み立てることにも関心が向いていました。また、高校生のころには、新しい音をどう作るかを考えるようになったと説明しています。大きな音の迫力と細かな構成を両立したいという関心は、後の音源制作にもつながる部分です。常田は、きれいな響きがあることでノイジーな音が際立つなど、異なる要素のバランスを大切にする考えも語っています。自分が好きな音を一つに絞るより、音同士の対比や組み合わせに面白さを見いだしていたと理解できます。インターネットを通じ、古い音楽にも新鮮さを感じていたことも本人の発言から確認できます。世代やジャンルを分けて聴くより、自分にとって興味のある音を吸収する姿勢です。MILLENNIUM PARADEの音楽的な入口は、この幅広い関心にあります。幼いころから楽器に触れ、ロックを聴き、自分で録音や作曲を始めるという経験が重なることで、既存の曲を楽しむ人から、自分の作品を組み立てる人へと進んでいきました。

MILLENNIUM PARADEが活動を始めたきっかけ

個人の音楽への関心が共同制作へ進むきっかけになったのが、石若駿との出会いです。常田と石若は東京藝術大学の同級生で、二人の対談では2011年ごろに知り合ったことが語られています。石若は常田を自分が出演するライブに誘い、聴いていた音楽についても話が合ったと振り返っています。常田が石若の演奏で印象に残った曲として挙げているのが、マイルス・デイヴィスの「Directions」です。ジャズの演奏でありながら、常田はそのドラムにロックやパンクに通じる勢いを感じたと説明しています。ここで重要なのは、同じ学校にいたという事実だけでなく、実際の演奏を通じて、作りたい音楽に重なる感覚を見つけたことです。ジャンル名は違っても、演奏から受ける刺激には共通する部分があるという経験が、二人で制作する方向へつながりました。常田が後にジャズドラムを大切な要素として扱う背景にも、この出会いがあります。好きな音楽を共有する関係が、演奏者として互いを知る関係へ深まった時期です。

二人は大学に入ったころから一緒に録音する機会を持ち、Srv.Vinciの前身に当たる音源を制作しました。当時の作品について、石若はロックのサウンドと高速のスウィングを組み合わせた演奏だったと振り返っています。制作は二人で行い、さまざまな楽器を自分たちで担当したことも語られています。また、バンドコンテストへ出場し、審査員の前で演奏した経験もあります。ただし、これを優勝によってデビューが決まった出来事として扱うことはできません。確認できるのは、共同で音源を作り、その音楽を外部へ提示する場に参加したことです。好きな音を話し合う段階から、録音し、人前で演奏する段階へ進んでいました。その後、常田を中心とした活動はSrv.Vinciとして展開します。MILLENNIUM PARADEにつながる集団の原点は、最初から現在のような人数や分野がそろっていたことにあるわけではありません。まず音楽的に通じ合う相手と制作を始め、演奏と録音の経験を重ねる中で、協働する範囲を広げていったことにあります。出会いが作品へ結び付き、その作品を発表する経験が次の活動を生むという流れです。この初期の共同録音は、後に必要な演奏者を迎えて曲を作るプロジェクトの考え方にも続く出発点として位置付けられます。

MILLENNIUM PARADEのデビュー前の活動

デビュー前の活動で具体的な作品として重要なのが、2016年7月20日に「Daiki Tsuneta Millennium Parade」名義で発表したアルバムです。当時は、Srv.Vinciでのバンド活動と並行して、常田のソロプロジェクトとして紹介されていました。石若駿のほか、ピアニストのKoki Nakano、ラッパーのJuaなどが参加し、さまざまな演奏や声を取り込んで制作しています。「Onibi」「WWW」「Down&Down」などを含む全20曲が収録され、短い楽曲や断片的な構成も組み合わせた作品でした。2019年に始動する集団とは名義や活動の形が異なりますが、電子音と生演奏を組み合わせ、多様な音楽家と制作する試みが音源として発表されていたことが分かります。また、常田は当時、ファッション映像の音楽制作などにも取り組んでいました。歌やバンドの演奏だけでなく、映像とともに使われる音楽を作る活動も、デビュー前の経歴に含まれます。音源を作る人としての実践と、別の表現分野に音楽を提供する経験が並行していました。

アルバム発売前の2016年6月24日には、渋谷のCIRCUS Tokyoで先行リリースパーティーを開催しています。音源を発表するだけでなく、他の出演者とともにイベントの場で作品を提示する活動があったことになります。同年には六本木のSuperDeluxeで、アニメーション作家の山田遼志をVJに迎えたライブも行いました。VJは音楽に合わせて映像を上映・操作する役割で、この時点から演奏とビジュアルを一緒に見せる方法を実践していました。2019年の立体映像による公演を理解する際にも、この前史は重要です。初めての大きな告知で突然映像を取り入れたのではなく、以前の活動で音楽と映像を組み合わせる経験がありました。さらに、初期の音源の一部は、後のステージで発展した形として演奏されています。過去の曲をそのまま残すだけでなく、断片や着想を新しい制作へ使う方法も、前史とデビューをつなぐ要素です。個人名を含む名義での作品、リリースイベント、VJとのライブという三つの実践を通じ、音源と現場の両方で表現を試していました。デビュー前の活動は、知名度を得るための準備だけでなく、何を作り、どう見せるかを具体的に確かめる期間だったと捉えられます。

MILLENNIUM PARADEが経験した大きな転機

デビューにつながる大きな転機の一つは、Srv.Vinciの活動が、継続するバンドと柔軟な共同制作へ分かれていったことです。2015年のアルバム『Mad me more softly』の録音後、常田と石若は翌年の活動について話し合いました。常田はバンドとしてフェスなどへ進むことを考えていましたが、石若には既に別の演奏活動の予定がありました。2016年の対談では、石若がバンドの継続的な活動から離れた理由として、このスケジュールの問題が説明されています。二人の関係が悪化したためではなく、活動の中心をどこに置くかという事情でした。その後も共同制作が行われたことから、バンドに継続して所属することと、作品に参加することが、異なる関係として続いたと分かります。MILLENNIUM PARADEの前史を、メンバーが離れたことで終わった活動と捉えるのは適切ではありません。演奏者がそれぞれの活動を持ちながら、必要な作品で再び一緒に制作する方法へつながった節目でもあります。

Srv.Vinciは次第に4人のメンバーによるバンドへ進み、2017年にはKing Gnuへ名称を変更しました。常田は後年、Srv.Vinciの初期の自由な活動がmillennium paradeへ、後期の固定した編成がKing Gnuへつながったと説明しています。二つの活動を分けることで、日本語の歌を中心にしたバンドの表現と、作品に応じて編成や歌い手を変える制作を、それぞれ追求できるようになりました。MILLENNIUM PARADEはKing Gnuの別名として始まったのではなく、共通する創作の原点から別の方向へ伸びたプロジェクトです。さらに、2018年末には常田と石若が互いの新しい活動について話し、常田がmillennium paradeを再始動したいと語っていたことが、石若のインタビューで明らかにされています。以前からの仲間と再び作品を作る意思が、2019年の公表前に共有されていました。この対話は、再始動が実際の構想として進んでいたことを示す具体的な出来事です。バンドの方向性が明確になったことと、別の形の制作を再び動かす意思があったことが、デビューへ向けた二つの転機になりました。異なる活動をどちらか一方へまとめず、それぞれに合う形を作ったことで、新しい名義の始動へ進んでいったのです。

MILLENNIUM PARADEがデビューにつながったきっかけ

MILLENNIUM PARADEのデビューへつながった背景には、常田大希と音楽家、映像制作者の間で積み重ねられた関係があります。常田は、King Gnuとして活動する前から一緒に制作していた仲間と、どのような東京発の表現を作るかを共有してきたと話しています。作品ごとに良かった部分や改善したい部分を話し合い、数年をかけて制作を重ねたことを、集団の財産として捉えていました。ここで重要なのは、作品が完成してから映像の担当者を探すだけでなく、音楽とビジュアルの方向を近い距離で考えられる関係があったことです。PERIMETRONの制作者が関わることで、演奏家の集団と映像の制作チームが、同じプロジェクトの表現を作る体制になりました。常田が考える音楽を、録音、映像、演出へ分けて具体化できる仲間がいたことが、始動を支える要素です。デビューは、以前からの制作を、新しい集団の表現として発表する過程として理解できます。

もう一つの背景が、ライブをどのように見せるかという構想です。常田は、音楽家と映像・演出の制作者を含め、大編成の集団として活動するイメージを持っていました。ボーカリストを一人に固定せず、曲ごとに異なる歌い手を迎えながら、映像によって舞台の中心となるイメージを提示する方法を考えていたのです。立体映像のキャラクターが観客の近くへ現れる演出には、その発想が関係しています。音源ではビートを細かく組み立てながら、ライブには実際に人が演奏する身体的な迫力を加えたいという考えもありました。録音の作り方とライブの見せ方を同じにせず、それぞれに必要な方法を選ぶ構想です。また、常田は音楽を専門的に学んだ人たちが、自分の技術や追求してきた表現を生かせる場にしたいという意図も語っています。優れた演奏者を集める理由と、自由な作品を作る理由が結び付いていました。こうして、仲間との制作経験、音楽家が活動する場への考え、映像を使ったライブの構想がまとまり、2019年の始動につながります。デビューの直接の入口になったのは、準備してきた表現を新しい名称と最初の作品で公表し、ライブとして観客に届けることでした。

MILLENNIUM PARADEのデビュー当時の活動

2019年4月5日、新しいプロジェクト「millennium parade」の始動とともに、「Veil」のミュージックビデオが公開されました。音楽と映像の両方で最初の作品を提示し、同時に5月のローンチパーティーも発表しています。「Veil」のデジタル配信が始まったのは5月22日です。映像公開と音源としての配信デビューは別の日付であり、活動の始まりを正確に説明する際には区別する必要があります。初期の楽曲ではermhoiが歌唱や英語詞に関わり、常田の作曲と別の歌い手の表現が組み合わされました。始動時のアートワークにもPERIMETRONが関わっています。配信された曲だけでなく、映像、ジャケット、ライブの告知が、一つのプロジェクトの表現として見える形になっていました。現在は大文字の「MILLENNIUM PARADE」表記ですが、デビュー当時の名称は小文字です。当時の資料を読む際には、この違いも押さえると、後年の名称変更と始動時の出来事を混同せずに理解できます。

配信開始と同日の5月22日、恵比寿LIQUIDROOMでローンチパーティーを開催しました。会場の公演記録でも、開催日とチケットの完売が確認できます。観客には3Dグラスが配られ、立体映像と生演奏を組み合わせたステージが披露されました。音楽家には石若駿、江﨑文武、安藤康平、新井和輝、勢喜遊、ermhoiらが参加し、佐々木集や森洸大もステージに関わっています。常田の周囲に演奏者を配置し、二人のドラマーによる音と映像が同じ空間で展開する形式でした。公演では14曲を演奏し、その多くは当時まだ配信されていない楽曲でした。最初の音源が一曲という状態で、観客は知らない曲も含めてプロジェクトの世界を体験したことになります。常田は、初公演に向けて直前まで制作を続けていたと振り返っています。デビュー曲を知っている人だけが楽しむ構成ではなく、新しい曲と映像の組み合わせを現場で提示した公演です。個人名義での作品の断片やSrv.Vinci時代の曲も取り入れられ、前史と新しい活動がステージ上でつながりました。デビュー当時には、音源配信による入口と、ライブで集団の全体像を見せる入口の両方が用意されていたのです。

MILLENNIUM PARADEのデビューがその後の活動に与えた影響

2019年のデビューで示されたのは、音楽家とビジュアル制作者が一緒に作品を作り、歌い手や表現方法を曲ごとに選ぶ活動の形でした。その後、6月28日にセカンドシングル「Plankton」を配信し、9月27日にはCharaを迎えた「Stay!!!」を発表しています。最初の楽曲に参加した歌手だけで活動を統一せず、新しい歌声を取り込む方法が、デビュー直後から続きました。また、同年11月にはDIORとのコラボレーション映像が公開され、その企画のために「lost and found」を制作しました。PERIMETRONが映像を担当し、東京の街をテーマに作品を作っています。デビュー時に示した、都市のイメージと音楽・映像を結び付ける方法が、ファッション分野との協働でも使われた例です。12月には東京と大阪で単独公演を行い、立体映像と演奏を組み合わせるステージを継続しました。始動時の一度限りの演出ではなく、音源の発表と現場の体験を並行して進める活動になっていったことが分かります。

2020年の「Fly with me」は、『攻殻機動隊 SAC_2045』のオープニングテーマとして発表されました。この曲は以前の名義で活動していたころから構想されており、常田は集団のテーマソングのような位置付けだったと説明しています。初期公演の映像に登場していたキャラクターも、ミュージックビデオの世界へ発展しました。デビュー前からの曲の着想と、始動時に見せた映像の表現が、次の作品へ引き継がれた例です。2021年には初のアルバム『THE MILLENNIUM PARADE』を発表し、曲ごとの制作をまとまった作品として提示しました。さらに、映画やアニメとの協働では、作品に合う歌い手を迎える方法が続いています。2026年の「Blue」でもSaya GrayとDaniel Caesarが参加し、歌唱、演奏、映像に複数の制作者が関わりました。作品ごとに音楽性や参加者の変化はありますが、デビュー時に示した制作方法は、その後も異なる作品で実践されています。2019年の始動は、以前からの創作を公に示し、音楽と映像を総合的に作る集団として活動を続ける節目になりました。初期の作品を知ることは、現在の多様な共作を理解する入口にもなります。

まとめ|MILLENNIUM PARADEのデビューまでの歩みを振り返ろう

MILLENNIUM PARADEのデビューまでの道のりには、常田大希の演奏経験と幅広い音楽への関心、石若駿との共同録音、個人名義での音源発表、映像を取り入れたライブがありました。音楽を作ることと、その作品をどう見せるかを並行して試した経験が、2019年の始動へつながっています。Srv.VinciからKing Gnuへ進むバンド活動とは別に、柔軟な共同制作を続ける場を作ったことも重要な転機です。2018年末の再始動に向けた対話を経て、2019年4月に「Veil」の映像を公開し、5月22日に配信デビューとローンチパーティーを実現しました。デビューは単に最初の曲を発売した日ではなく、以前からの仲間と準備してきた音楽・映像・演出を、観客へまとめて届けた節目でした。その後も歌い手や共同制作者を迎える方法が続き、音源、ライブ、映画やアニメとの協働へ展開しています。最初の作品と公演を知ることで、現在の活動にもつながる制作の考え方が見えてきます。MILLENNIUM PARADEの原点は、異なる才能が一緒に作り、蓄積した表現を新しい形で発表する歩みの中にあります。

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