Travis Japanのデビューまでの道のり|活動開始のきっかけ・転機を解説

Travis Japanのデビューまでの道のり|活動開始のきっかけ・転機を解説
Travis Japan(トラビス・ジャパン)は、2022年10月28日に「JUST DANCE!」で全世界配信デビューを果たした7人組グループです。その出発点には、幼い頃の舞台への憧れ、ダンスの選考による結成、長い公演経験がありました。なぜアメリカへ渡り、どの出来事がレーベル契約につながったのでしょうか。この記事では、活動開始前からデビュー直後までに焦点を当て、メンバー本人の証言と公表された情報をもとに道のりを解説します。単なる年表ではなく、7人体制への変化、ソロ公演、留学中の挑戦、新曲を披露する準備をたどり、それぞれの経験がデビューにどう生きたのかを詳しく紹介します。
Travis Japanの活動開始前の経歴
Travis Japanのデビューまでの道のりは、2012年のグループ結成よりも前から始まっています。現在の7人は、同じ場所で一斉に芸能活動を始めたわけではなく、それぞれの時期に事務所へ入り、舞台やレッスンを通じて経験を積みました。グループの活動開始年と、各メンバーの芸歴の長さは別のものです。とくに川島如恵留は子どもの頃から舞台に出演しており、劇団四季の「ライオンキング」でヤングシンバ役を演じた経験があります。歌う、踊る、役を演じるという複数の表現に、グループ結成以前から触れていたメンバーです。一方、宮近海斗は事務所へ入る前からダンスを習っていました。同期の佐藤勝利は、オーディションの場で宮近が振付を教えてくれたことを後に語っています。まだ同じ事務所の仲間になる前から、身に付けたダンスを周囲と共有していたことが分かるエピソードです。結成前の時点で、舞台出演を経験した人も、ダンス教室などで身体の動かし方を学んでいた人もいました。
事務所への入所時期では、七五三掛龍也と吉澤閑也が2009年、宮近海斗、中村海人、松倉海斗が2010年です。七五三掛と吉澤は対談で、同い年で入所時期も近い関係だったと説明しています。宮近、中村、松倉も同期ですが、入所後ずっと同じグループで活動していたわけではありません。Travis Japanの結成時に参加したメンバーと、後から加わったメンバーがいるため、同期としての関係とグループ内の経歴を分けて見る必要があります。この時期を理解するうえで大切なのは、デビュー前を単なる待機期間として捉えないことです。事務所に所属してレッスンを受けたり、公演に出演したりする芸能活動は、音源を発売する前から始まっています。また、グループ全員が同じだけの舞台経験やダンス歴を持っていたわけでもありません。異なる経験を持つ人たちが、同じ公演や練習の場で接点を増やしていく過程がありました。Travis Japanの原点には、完成したチームが最初から存在したのではなく、個々の経験を後からグループの表現へつなげていったという背景があります。
Travis Japanが音楽に興味を持ったきっかけ
Travis Japanのメンバーが音楽やステージに関心を持った理由は、一人ひとり異なります。松倉海斗は、2009年に嵐のデビュー10周年ライブを見たことが、アイドルを目指すきっかけだったと語っています。客席から見た5人の姿に惹かれ、いつか自分も同じステージに立ちたいと考えて、自ら履歴書を送りました。ここでは、好きな曲を聴くことだけでなく、歌とダンスを通して観客に働きかけるアイドルの姿そのものが、進路を決める動機になっています。松倉はデビュー前のインタビューでも、アイドルになりたいという夢と、自分たちの楽曲で人の心を動かしたいという思いを語っていました。憧れのライブを見た経験が、応募という行動に変わり、さらに自分たちの音楽を届けたいという目標へ育っていった流れです。幼い頃の夢を後から推測するのではなく、本人が語ったライブ体験をたどることで、活動を始める理由が具体的に見えてきます。
川島如恵留にとっては、6歳の頃に見たミュージカル「ライオンキング」が大きな出会いでした。その舞台への憧れからダンスを始め、芸能活動へ進んだと説明しています。後年には、作品に出るための手段として始めたダンスが、今では生きがいになったとも語っています。最初は特定の舞台に立ちたいという目標があり、練習や出演経験を重ねるうちに、踊ること自体の意味が変わったということです。宮近海斗の場合は、子どもの頃からダンスを経験し、母親から渡された履歴書を送ったことが事務所への入り口になりました。松倉のように自分から応募した例もあれば、家族の働きかけが次の機会を作った例もあります。したがって、7人が全員同じ歌手や作品に影響されて活動を始めたとはいえません。共通して見えてくるのは、音楽を音だけで受け取るのではなく、踊りや芝居、舞台の空間と結び付けて経験してきたことです。これは、後にTravis Japanが歌とダンスを一体として届けるグループになる背景を考える手掛かりになります。ただし、結成前から現在の音楽性が完成していたわけではありません。それぞれの憧れや経験が、グループ活動の中で組み合わさっていったと捉えるのが自然です。
Travis Japanが活動を始めたきっかけ
Travis Japanがグループとして活動を始める直接のきっかけは、振付師トラヴィス・ペインによるダンスの選考でした。マイケル・ジャクソンの振付に携わったことで知られるペインが、事務所でメンバーの選考に関わり、2012年の結成につながっています。七五三掛龍也は後年、この機会について、最初からオーディションだと聞いていたわけではなく、ダンスレッスンとして参加したと振り返りました。レッスンを重ねるうちに参加者が減り、最後に残った人たちでグループを組むことになったという説明です。つまり、完成したグループの募集に7人で応募したのではなく、育成と選考の過程でメンバーの組み合わせが生まれました。「Travis Japan」という名称の「Travis」は、ペインの名前に由来しています。ユニバーサル ミュージックの契約発表でも、世界規模で成長できるグループを目指してペインが結成に関わったことが説明されています。海外を視野に入れた方向性は、後の留学で突然生まれたものではなく、結成の説明にも表れています。
初期の活動を確認できる作品が、舞台「PLAYZONE'12 SONG & DANC'N。PART II。」です。今井翼、佐藤アツヒロ、中山優馬、屋良朝幸らが出演し、歌とダンスで構成される公演にTravis Japanも参加しました。このときのメンバーは、川島如恵留、森田美勇人、仲田拡輝、七五三掛龍也、中村海人、宮近海斗、吉澤閑也、梶山朝日、阿部顕嵐の9人です。現在とは異なる顔ぶれで活動を始めたことからも、結成と現在の体制の成立は同じ出来事ではないと分かります。グループ名を持った直後からCDを発売したわけではなく、公演の出演者として、先輩たちとともに楽曲を表現するところから歩みが始まりました。ここで経験したのは、決められた振付を覚えるだけでなく、同じ舞台にいる人と動きやタイミングを合わせて作品を成立させることです。結成の入口にダンスの選考があり、活動の入口に歌とダンスの舞台があった点は、その後の表現を理解するうえで重要です。Travis Japanは、ステージ上で音楽を見せる経験を先に重ね、後に自分たちの音源を広く届ける段階へ進んでいきました。
Travis Japanのデビュー前の活動
Travis Japanのデビュー前の活動には、舞台、単独コンサート、個人のソロ公演、インターネットでの映像発信がありました。2019年3月26日には、横浜アリーナで「Travis Japan Concert 2019 ~ぷれぜんと~」を開催しています。同年には主演舞台「虎者 ―NINJAPAN―」も上演され、2020年、2021年へと公演が続きました。先輩の公演を支える経験に加え、自分たちが中心となって観客を迎える機会が増えた時期です。2019年にはオースティン・マホーンの来日公演にもスペシャルゲストとして出演しています。自分たちの単独公演とは異なる場でパフォーマンスを届けた経験も、留学以前からありました。一方、2020年の「Summer Paradise」では、7人がそれぞれソロ公演に挑戦しました。グループの一員として歌い踊ることと、一人で公演を担うことの両方を、CDデビュー前に経験した形です。宮近海斗は後年、この公演の重圧や、ファン、メンバー、スタッフの支えを実感したことを振り返っています。
2021年には初の全国ツアーを実施し、各地の観客へパフォーマンスを届ける機会が広がりました。同年に始まった「+81 DANCE STUDIO」は、先輩アーティストの楽曲を新たな振付で踊るYouTubeの企画です。公演会場で見せるだけでなく、映像として繰り返し見られる形でダンスを届ける場が加わりました。この活動では、自分たちの新曲を宣伝することよりも、既存の曲をどう解釈し、身体で表現するかが前面に出ています。舞台では演目全体、ソロ公演では個人の表現、ダンス映像では動きそのものというように、見せる対象が異なる仕事を経験していたことが分かります。これらを一括して「下積み」と呼ぶだけでは、デビュー前に何を身に付けていたのかが見えにくくなります。グループで合わせる力、自分の見せ方を考える経験、カメラを通して表現を届ける経験が、それぞれの活動に含まれていました。ただし、この時点の公演や動画が直接レーベル契約を決めたと断定することはできません。国内での活動は、後に海外で初めて自分たちを見る人の前に立ったとき、披露できる表現を蓄えていった期間として位置付けられます。
Travis Japanが経験した大きな転機
Travis Japanがデビュー前に経験した転機を考えるうえで、まず重要なのが2017年11月のメンバー加入です。編成の変化を経て5人で活動していたグループに、松田元太と松倉海斗が加わり、現在の7人体制になりました。宮近海斗は、新しいメンバーを迎える難しさを感じていたものの、2人がすぐに溶け込んだことで、この7人で上を目指そうと決意できたと語っています。七五三掛龍也も、歌に厚みが出て、パフォーマンスの幅が広がったと振り返りました。この証言からは、2人の加入が人数の補充だけでなく、表現と目標の両方を変えたことが読み取れます。さらに2019年8月8日、東京ドームの公演でSixTONESとSnow Manのデビュー発表を目の当たりにしたことも、本人たちが挙げる転機です。松田はこの出来事によって気持ちに火がついたと話し、松倉は足りない部分や取り組むべきことを話し合ったと説明しています。仲間のデビューに対する悔しさを、自分たちの課題を見直す行動へ変えた時期でした。
そうした経験の先に選んだのが、2022年3月からのロサンゼルス留学です。歌、ダンス、語学を学ぶために渡米しましたが、当初から一定期間後のデビューが約束されていたわけではありません。七五三掛と吉澤閑也は、何か成果を出す必要があると感じていたことや、期限を定めずに留学へ向かったことを後に明かしています。この決断によって、活動の環境は大きく変わりました。日本で公演を続ける日々から、現地で学びながら、自分たちを知らない相手へ表現を伝える日々に移ったのです。学習の対象も、振付や歌唱だけでなく、相手に考えを伝えるための言葉へ広がりました。留学中の宮近は、自分がどんな人間なのかを表現できる英語力を身に付けたいと話しています。既に日本で活動していたグループが、改めて学ぶ側に立ったことに、この転機の意味があります。デビューへの焦りだけを切り取ると無謀な挑戦にも見えますが、本人たちの説明をたどると、国内で築いた表現を別の場所で試し、次の機会を探すための選択でした。体制を固め、課題を話し合い、環境を変えるという段階を経て、海外での挑戦が始まりました。
Travis Japanがデビューにつながったきっかけ
Travis Japanのデビューにつながった直接の流れは、アメリカでのダンス大会への出場、テレビ番組への出演、レーベルの注目という順に整理できます。2022年3月、渡米直後に「WORLD OF DANCE」のオレンジカウンティ地区予選へ出場し、チーム部門3位となりました。ここでのパフォーマンスについて、川島如恵留は和の音や羽織を思わせる衣装を取り入れ、日本を感じてもらえる演目を作ったと説明しています。宮近海斗は振付やリミックスを手がけました。海外へ出たから自分たちの背景を隠したのではなく、日本から来たグループとして何を見せるかを考えた舞台だったことが分かります。その後、全米大会ではチーム部門4位、世界大会では9位に入りました。成績は大会の段階によって異なるため、「世界大会で3位」とまとめるのは正確ではありません。各段階を区別して見ることで、挑戦を重ねながら実績を積んだ過程を理解できます。
次の機会は、アメリカのオーディション番組「America’s Got Talent」への出演でした。七五三掛龍也の説明では、ダンス大会を見に来ていた番組関係者から声がかかり、出演につながったといいます。番組ではセミファイナルまで進出しました。そして、大会からテレビ番組へと活動を広げる過程やパフォーマンスが、Capitol Recordsとユニバーサル ミュージックの関係者の目に留まりました。2022年9月には契約と世界デビューが発表され、日本では9月29日にニュースが伝えられています。大切なのは、番組で優勝した賞品としてデビューが決まったわけではないことです。現地で披露した表現と、それを見た関係者との接点が、新しい契約へつながりました。また、SNSだけで突然発見されたグループという説明でもありません。動画発信を続けていた背景はありますが、本人の証言と契約発表から確認できる直接の道筋は、大会、番組、レーベルへの広がりです。国内で身に付けたパフォーマンスを現地で実演し、一つの舞台で得た機会を次へつなげたことが、デビューのきっかけになりました。努力の量を抽象的に語るより、この具体的な接続を見るほうが、Travis Japanがどのようにデビューへ到達したのかを理解できます。
Travis Japanのデビュー当時の活動
Travis Japanは2022年10月28日、デジタルシングル「JUST DANCE!」で全世界配信デビューを果たしました。結成からおよそ10年、現在の7人体制になってからおよそ5年を経て迎えた節目です。CDを店頭で発売する形に先行して、各地から音源へアクセスできる配信で作品を届けました。デビュー決定を聞いたときの様子について、メンバーは後のインタビューで、事務所からの動画で知らせを受け取ったと説明しています。松倉海斗はその動画を寝る前に見返し、中村海人は翌朝にも英語の授業があったため、普段のように寝る準備をしたと話しています。デビューが決まった日にも、留学中の学習と生活が続いていたことが分かるエピソードです。長く目指した知らせへの喜びと、目の前の課題に取り組む日常が同時にありました。デビュー発表によってすべてが終わったのではなく、新曲を仕上げ、披露するための仕事へ進んでいたのです。
「JUST DANCE!」の準備にも、それまでの経験が表れています。川島如恵留と松田元太は、振付師に会う前に動画で振付を覚え、当日は動きのニュアンスを調整できる状態にしていたと振り返っています。覚える段階を先に進めておくことで、対面のリハーサルを表現の細部に使えるようにしたという具体例です。ミュージックビデオはGil Greenが監督を担当し、ロサンゼルスのベニスビーチで撮影されました。街で人々と踊る映像は、ダンスを軸に活動してきたグループのデビュー作品として、音源と身体表現を一緒に届ける内容です。デビュー当日には、公式Instagram、YouTube、TikTokをつなぐSNS生配信リレーが組まれ、YouTubeでのライブに続いてミュージックビデオの全編が公開されました。現地にいる7人と離れた場所のファンが、オンラインで同じ節目に参加できる形です。楽曲の配信、映像公開、生配信を組み合わせたことに、デビュー当時の活動の特徴があります。長い舞台経験を持つグループが、海外からデジタルで新しい作品を届けるというスタートであり、活動してきた時間の長さと、新人としての出発が重なった瞬間でした。
Travis Japanのデビューがその後の活動に与えた影響
Travis Japanのデビューがその後の活動に与えた影響は、作品を届ける方法と、過去の経験の見せ方が広がったことに表れています。2023年には「Travis Japan Debut Concert 2023 THE SHOW~ただいま、おかえり~」を開催しました。留学を経てデビューした姿を日本の観客へ届ける公演であり、待っていたファンと直接向き合う機会です。吉澤閑也は、客席で涙するファンを見て、グループに向けられた思いを受け取ったと振り返っています。デビューは肩書きが変わるだけでなく、それまでの応援に新しいステージで応える節目でもありました。同年3月には、ロサンゼルスでの日々を収めた映像作品「Travis Japan -The untold story of LA-」を発売しています。デビュー曲だけでは分からない練習や生活の背景を、作品として伝える機会ができました。華やかな発表の結果だけでなく、その前に何を経験したかを見せることで、グループを知る入り口が広がっています。
音楽活動では、2023年に「Moving Pieces」「Candy Kiss」などを発表しました。「Moving Pieces」では、ジャスティン・ビーバーの作品にも関わったPoo Bearが作曲とプロデュースを担当しています。海外で始まった活動が、その後も制作者との仕事と楽曲の発表へつながった例です。12月20日には1枚目のアルバム「Road to A」を発売し、グループ初の音楽CDを届けました。初回J盤の特典CDには「夢のHollywood」「Lock Lock」「The Show」「Together Now」など、デビュー前からのレパートリーも収録されています。メジャーデビューによって過去を置き去りにするのではなく、公演で育ててきた楽曲を音源として残したことが重要です。以前から知っている人は思い出の曲を聴き返せるようになり、新しく知った人は過去の表現をたどれるようになりました。新曲と以前の楽曲を同じ作品で聴けるため、表現の変化と共通点も確かめられます。Travis Japanにとってデビューは、舞台中心の活動を終える出来事ではなく、舞台で培ったものを配信、CD、映像へ広げる出発点でした。そこに、長いデビュー前の経験が、その後の音楽活動へ受け継がれた様子を見ることができます。
まとめ|Travis Japanのデビューまでの歩みを振り返ろう
Travis Japanのデビューまでの歩みは、一つのオーディションや偶然の出会いだけで説明できるものではありません。個々の舞台への憧れと芸能活動を出発点に、ダンスの選考でグループが生まれ、公演を通じて表現を積み重ねました。現在の7人がそろったことや、仲間のデビューを受けて課題を話し合ったことも、その後の行動を変える転機になっています。ロサンゼルスでは、ダンス大会からテレビ番組、レーベル契約へと機会がつながり、世界配信デビューに至りました。国内での経験を現地で実演し、自分たちを知らない人へ届けたことが、次の扉を開いたのです。デビュー曲の準備では、振付を事前に覚えて表現の調整に時間を使うなど、経験を仕事に生かす姿も見られました。その後はライブ、映像、アルバムを通じて、新しい音楽とデビュー前のレパートリーの両方を届けています。「JUST DANCE!」や初期の公演映像を見るときは、目の前のパフォーマンスに至るまでの経験にも目を向けてみてください。結成からデビューへ、そして次の活動へと続くつながりを知ることで、Travis Japanの歌やダンスをより具体的に楽しめるでしょう。


