Hey! Say! JUMPのデビューまでの道のり|活動開始のきっかけ・転機を解説

Hey! Say! JUMPのデビューまでの道のり|活動開始のきっかけ・転機を解説
Hey! Say! JUMPのデビューまでの道のりには、メンバーそれぞれの幼少期の関心や家族の働きかけ、ジュニア時代の舞台・テレビ出演が重なっています。2007年にグループとして登場する以前から、歌やダンス、演技に取り組んでいたメンバーもおり、結成の発表だけでは見えてこない背景があります。また、同年夏のHey! Say! 7によるCD発売と、秋のHey! Say! JUMPのデビューは区別して理解することが大切です。この記事では、本人が語った活動開始のきっかけと具体的な出演作をたどりながら、グループの誕生、デビュー曲の発売、最初の単独公演へとつながる過程を解説します。
Hey! Say! JUMPの活動開始前の経歴
Hey! Say! JUMPが活動を始める前の経歴を知るには、グループ結成以前に各メンバーがどこまで芸能活動を経験していたのかを見る必要があります。結成時に全員が初めて舞台へ上がったわけではなく、それぞれの活動歴を持つジュニアが集まって出発したグループです。早い時期から歌手としての実績を持っていたのが薮宏太でした。2002年5月15日、薮が所属していたYa-Ya-yahは「勇気100%/世界がひとつになるまで」を発売しています。楽曲はアニメ「忍たま乱太郎」のテーマソングとエンディングソングに使われ、Hey! Say! JUMP結成の約5年前に、すでにアニメと結びつく音楽活動を経験していました。同年にはジュニアのコンサートに加え、帝国劇場の「SHOW劇・SHOCK」、少年隊の「PLAYZONE2002『愛史』」にも出演しています。さらにドラマ「太陽の季節」で主人公の子ども時代を演じており、初期から歌、舞台、映像作品を並行する歩みだったことが分かります。
年少のメンバーにも、結成以前の出演歴がありました。知念侑李は2004年公開の映画「NIN×NIN 忍者ハットリくん THE MOVIE」で三葉ケンイチ役を務め、同年のテレビドラマ「七子と七生~姉と弟になれる日~」にも出演しています。また、2004年から2005年に放送された「3年B組金八先生」第7シリーズには、八乙女光が丸山しゅう役、薮が鈴木康二郎役で出演しました。年齢だけを見れば学校生活の途中にある少年たちでしたが、すでに異なる作品で役を担っていたのです。ここで押さえたいのは、先に個人の仕事やジュニア内の活動があり、その後にHey! Say! JUMPという所属先ができたという順序です。歌のCDを出していた人、映画で主要人物を演じていた人、舞台に出演していた人では、結成時に持ち寄った経験も同じではありません。この違いを踏まえると、グループの原点は、芸能活動を通じて接点を持った若い出演者たちの合流として理解できます。結成以前の出演作は、現在の名前から過去をたどるときにも、メンバーを個別に知る手がかりになります。
Hey! Say! JUMPが音楽に興味を持ったきっかけ
Hey! Say! JUMPの音楽への関心は、メンバー全員に共通する一つの体験から始まったものではありません。中でも、幼少期のダンスが進路に直結したのが知念侑李です。知念は3歳からダンスを習い、母親と訪れた嵐のコンサートを通じて、同じ世界に入りたいと考えるようになりました。憧れの存在として挙げているのは嵐の大野智で、歌とダンスを舞台上で見せる姿が、自分の目指す仕事の具体像になっていました。音楽を聴いて楽しむだけでなく、その音楽に合わせて踊り、観客の前で表現することまでが、幼いころからの関心の中にあったのです。映画のイベントでも、幼稚園のころには嵐の後ろで踊ることを夢見ていたと話しています。こうした発言から分かるのは、憧れたステージに踊り手として参加したいという思いが早くからあったことです。知念の原点を知ると、歌とダンスを組み合わせるアイドルという活動形態を選んだ背景が見えてきます。
ただし、実際に芸能活動へ入ってからの仕事は、望んでいたダンスだけではありませんでした。静岡で暮らしていた時期には映画やドラマなど演技の仕事が中心となり、踊りたい気持ちとの違いに悩んだことも本人が明かしています。中学生のころに上京したという経緯も、ダンスを軸に活動したいという希望を考えるうえで欠かせません。憧れができた段階と、その憧れに近い仕事を継続できる段階の間には、別の分野の出演経験もあったわけです。一方、髙木雄也はラジオで、入所前に見たKinKi Kidsのコンサートについて、音の大きさや花火などの演出に驚いた思い出を語っています。こちらは入所理由そのものと断定できる話ではありませんが、客席で受け取った音楽体験を知る具体的なエピソードです。同じコンサートでも、知念には踊る側への憧れがあり、髙木の記憶には会場全体を使う音と演出の印象が残っています。本人の発言を分けて読むことで、音楽との出会いを一律の美談にせず理解できます。グループの音楽的な原点には、曲そのものだけでなく、身体を動かす楽しさや、生の会場でしか味わえない体験も含まれていました。
Hey! Say! JUMPが活動を始めたきっかけ
Hey! Say! JUMPのメンバーが実際に活動を始めたきっかけには、本人の希望だけでなく、家族による応募も関わっています。山田涼介の場合、幼いころの目標はサッカー選手で、芸能界への応募を進めたのは母親と姉でした。本人が知らないうちに履歴書が送られ、オーディションへ行くよう勧められたと振り返っています。当時は参加に積極的ではなかったものの、サッカーのピンバッジを買ってもらえるという話が、会場へ向かうきっかけになりました。後年の映画イベントでも本人が紹介した出来事であり、現在の歌手・俳優としての姿からは意外に感じられる出発点です。山田は2004年に入所し、そこからジュニアとしての活動を始めました。家族の働きかけで受けたオーディションが、それまでとは異なる仕事に触れる入口になったのです。本人は後にこの仕事を天職と感じるようになったとも話しており、参加時の動機と、続ける中で得た職業への思いには変化がありました。
伊野尾慧の入口も、歌手を目指すという明確な計画とは少し異なります。幼稚園のころ、テレビで若い出演者たちがおいしそうに食事をしている姿を見て、芸能界に関心を持ちました。誰なのか母親に尋ねた際、ジャニーズだと聞いたことから、そこへ入ればおいしいものを食べられると考え、入りたいと繰り返し伝えていたそうです。母親は当初反対していましたが、約2年後に履歴書を送り、返事を受けてオーディションへ進みました。この話で大切なのは、幼いころの素朴な興味が、家族への継続した意思表示と応募につながった点です。山田は周囲に背中を押され、伊野尾は自分の希望を家族に伝え続けたという違いがあります。どちらも履歴書とオーディションを経ていますが、応募の主体や、その時点で思い描いていた将来は同じではありません。また、入所はそのままHey! Say! JUMPへの加入を意味するものでもありませんでした。まずジュニアとして活動を始め、その後の出演やグループ結成を経てCDデビューへ進んでいます。この段階を区別すると、応募にまつわる印象的なエピソードだけでなく、そこから実際の芸能活動を続けた時間も、デビューへの道のりに含まれることが分かります。
Hey! Say! JUMPのデビュー前の活動
Hey! Say! JUMPのデビュー前の活動を見ると、2006年は後のメンバーが複数の舞台を共にした年でした。1月の「KAT-TUN vs 関ジャニ∞ Musical Dream Boys」には、中島裕翔、山田涼介、有岡大貴、髙木雄也、伊野尾慧が出演しています。続く3月から4月の「滝沢演舞城」では、この5人に加えて八乙女光と薮宏太も参加しました。同じ公演名の出演記録に複数の名前が並ぶことから、グループができる前に共同の現場があったと分かります。8月には「ジャニーズJr.の大冒険!」、9月には「One!-the history of Tackey-」への出演もありました。先輩の公演に参加する機会と、ジュニアを中心とする公演の両方が続いていたのです。この時期の歩みは、後に発売されるシングルだけを追っていても見えてきません。CDデビューの前年にすでに舞台出演が重なっていたことは、グループ結成時のパフォーマンスを考えるうえで具体的な背景になります。まだHey! Say! JUMPという名前はなくても、観客のいる会場で出演を重ねる活動は進んでいました。
テレビでも、それぞれの顔や名前を知る入口が増えていきました。山田は2006年7月放送の単発ドラマ「探偵学園Q」で天草流役を演じ、2007年の連続ドラマ版にも同じ役で出演しています。一度の出演で終わらず、同じ人物を連続ドラマで演じる機会があったことは、結成直前の経歴における具体的な変化です。また、2006年10月から放送された「YOUたち!」には中島、伊野尾、八乙女が出演し、有岡には「百識」への出演歴があります。歌や踊りを見せる舞台と、人物としての反応や会話を見せる番組が並行していました。さらに伊野尾と八乙女は、2006年のバレーボール関連ユニット「Kitty GYM」にも参加しています。後のグループがスポーツ大会を応援する役割を担う前に、その種の活動を経験したメンバーがいた点も見逃せません。2007年に入ると日本武道館でのジュニア公演、夏の「ジャニーズJr.の大冒険!」などが続きました。舞台、ドラマ、バラエティー、スポーツ関連の仕事が同時期に存在していたことから、デビュー前の活動にはすでに複数の表現の場があったと読み取れます。こうした接点を持つメンバーたちが、夏以降に新しいユニットやグループの形で紹介されることになります。
Hey! Say! JUMPが経験した大きな転機
Hey! Say! JUMPの誕生に先立つ大きな転機が、2007年夏の期間限定ユニット、Hey! Say! 7の活動です。このときのメンバーは山田涼介、知念侑李、中島裕翔、有岡大貴、髙木雄也の5人でした。後にHey! Say! JUMP内で使われる同名のユニットとは構成が異なるため、デビューの歴史を調べる際には区別が必要です。5人は2007年8月1日にシングル「Hey! Say!」を発売しました。表題曲はテレビアニメ「ラブ★コン」のオープニングテーマ、収録曲「BON BON」はエンディングテーマに起用されています。アニメの冒頭と終わりの両方で楽曲が使われる形になり、ジュニアの公演を見ていない視聴者にも歌を届ける機会が生まれました。舞台やドラマの出演者として知っていた人が、今度はユニットの歌い手として登場するという変化です。特に知念にとっては、幼いころから望んでいた歌とダンスの活動が、CD作品として届く段階に入ったことになります。ただし、これをHey! Say! JUMP名義のデビューとするのは正確ではありません。
このシングルには「Iをくれ」も収録され、初回限定盤には表題曲のビデオクリップとメイキング映像を収めたDVDが付属しました。作品の構成を見ても、音源だけでなく、5人の歌唱場面や撮影の様子を映像で伝える発売だったことが分かります。舞台出演では公演に足を運ぶ観客と直接出会う一方、CDと映像商品は、同じ歌や表情を繰り返し楽しめる形で手元に残ります。アニメの主題歌として聴き、商品を通じてメンバーを覚えるという入口もできました。翌月には別の構成で新グループが発表されるため、活動期間だけを見ると短い出来事です。それでも、Hey! Say! JUMPの結成直前に、後のメンバーの半数が一緒に音源と映像を発表していた点は、デビュー準備期を知るうえで外せません。一方、夏のシングルの成績だけが秋の結成を決めた、という因果関係までは公表情報から断定できません。確認できるのは、5人によるCD発売が先にあり、その全員が続く新グループのメンバーになったという流れです。この夏を境に、個々の出演歴だけでなく、同じ作品を歌う組み合わせとしての活動も、デビューまでの歴史に加わりました。
Hey! Say! JUMPがデビューにつながったきっかけ
Hey! Say! JUMPのデビューにつながる直接の節目は、2007年9月24日に横浜アリーナで行われた結成発表です。ジュニアの公演の場で、新しい10人組として紹介されました。結成時のメンバーは、山田涼介、知念侑李、中島裕翔、岡本圭人、森本龍太郎、有岡大貴、髙木雄也、伊野尾慧、八乙女光、薮宏太です。夏に活動していた5人に別のジュニアが加わり、人数も役割も新しい形で出発することになりました。グループ内では、山田、知念、中島、岡本、森本がHey! Say! 7、有岡、髙木、伊野尾、八乙女、薮がHey! Say! BESTに分かれています。有岡と髙木は夏にはHey! Say! 7のメンバーでしたが、結成後はBESTに属しました。この移動も、期間限定ユニットがそのまま名前だけを変えたわけではないことを示しています。全員が平成生まれという共通点を持つ一方、芸能活動を始めた時期や経験には幅がありました。すでに共演のあるメンバーと、新しく一つのグループを組むメンバーが、同じ名前で活動する転換点でした。
華やかな発表の裏側には、本人たちの緊張もありました。10周年の会見で山田は、発表時には頭が真っ白になるほど緊張したと振り返り、有岡は映像で順番に名前が紹介される中、最後まで自分が映るか心配だったと語っています。事前にデビューを知らされていても、観客の前で正式に発表される瞬間には別の重みがあったことが伝わります。さらにメンバーは、本番直前まで振り付けをしていたことや、中継の不具合で披露をやり直したことも明かしました。完成された映像だけでは分からない、慌ただしい出発だったのです。そして新グループは、同年の「ワールドカップバレー2007」のスペシャルサポーターを務めることになりました。これにより、結成の発表に続いて、全国放送のスポーツ大会に関わる具体的な活動が用意されました。メンバー選考の細かな基準や、個々の出演が選出に与えた割合は公表されていません。デビューにつながったきっかけとして明確に位置づけられるのは、この新グループへの選出と正式発表です。そこに大会を応援する役割が続き、ジュニアとして別々の仕事をしていた時期から、10人で一つの楽曲と活動を届ける段階へ移りました。
Hey! Say! JUMPのデビュー当時の活動
Hey! Say! JUMPは2007年11月14日、シングル「Ultra Music Power」でCDデビューしました。9月の結成発表から約2か月で、グループ名義の最初の作品が発売されたことになります。表題曲は「ワールドカップバレー2007」のフジテレビ系イメージソングで、作詞はMSS、作曲は馬飼野康二、編曲はCHOKKAKUが担当しました。大会は11月2日から12月2日まで開催されており、シングルの発売日はその期間中に当たります。スポーツ大会でグループと楽曲を知る機会と、CDを購入できる時期が重なるデビューでした。収録曲には「Star Time」があり、初回限定盤のDVDには表題曲のビデオクリップとメイキング映像が収められています。通常盤の初回プレスには「Too Shy」も収録され、表題曲以外の歌を聴く入口も設けられました。オリコンの2007年11月26日付週間シングルランキングでは、初週約24万7,000枚を売り上げて1位を獲得しています。結成したばかりのグループが、最初のCDでどのような反響を得たのかを示す具体的な数字です。
テレビでの活動も、この時期に新しい形へ進んでいました。2007年10月からは山田や中島らが出演する「爆笑100分テレビ!平成ファミリーズ」が始まり、11月には薮と八乙女が出演する「Hi! Hey! Say!」もスタートしています。デビュー曲を披露する場に加えて、定期的にメンバーの顔を見る番組があったことは、グループを覚えてもらう接点になりました。そして12月22日、東京ドームで初の単独コンサートを開催します。CD発売から約1か月という時期で、自分たちの名前を掲げる単独公演の舞台に立ちました。作品を発売した新人という立場に加え、観客が一つのグループを目当てに集まる公演を担う立場へ移ったのです。2007年秋から冬の出来事を並べると、結成発表、大会の応援、CD発売、単独コンサートが短期間に続いています。ここでいうデビューは一日の出来事にとどまらず、名前と楽曲を知らせ、テレビを通じて人物を紹介し、会場で公演を届ける一連の活動でした。ジュニア時代から蓄積してきた舞台とテレビの経験が、グループとして同時に使われる出発期だったと捉えられます。
Hey! Say! JUMPのデビューがその後の活動に与えた影響
Hey! Say! JUMPのデビュー後の変化は、グループの曲を継続して発表し、個人の出演作とも結びつける活動が始まったことです。2008年には、5月に「Dreams come true」、7月に「Your Seed/冒険ライダー」、10月に「真夜中のシャドーボーイ」を発売しました。一曲を紹介するデビュー期を経て、次の曲で異なる表情を見せる段階に進んでいます。同年のドラマ「スクラップ・ティーチャー~教師再生~」には中島裕翔、山田涼介、知念侑李、有岡大貴が出演し、「真夜中のシャドーボーイ」が主題歌になりました。メンバーの演技を見て、その番組でグループの楽曲も聴く接点が生まれました。春のコンサートや夏の「SUMMARY 2008」もあり、単独公演を一度経験して終わるのではなく、次の会場で新しい内容を届ける活動が続きました。2008年末から2009年の「Hey! Say! Jump-ing Tour '08-'09」では、大阪、名古屋、横浜で公演を開催しています。翌年発売の映像作品には横浜アリーナ公演が収められ、シングルに加え、公演で披露した楽曲を映像として残す歩みも進みました。
もう一つの変化は、メンバーが表現の内容を考える側へ関わっていくことです。八乙女はインタビューで、18~19歳ごろにコンサートの構成を一人で考えてみた経験が転機だったと話しています。演出の仕組みを学び、提案が実現しなかった理由も考えるようになったという話からは、舞台に出演する経験が、公演全体を組み立てる関心へ広がったことが読み取れます。2010年7月7日発売のファーストアルバム「JUMP NO.1」では、薮が「DREAMER」、八乙女が「INFINITY」、山田が「真紅」の作詞に参加し、「INFINITY」では伊野尾がピアノを担当しました。デビュー時に提供された楽曲を歌うところから、自分たちの言葉や演奏も作品へ加える展開です。同年の「SUMMARY 2010」では、フライングや綱渡りを取り入れた公演も行っています。こうした具体的な活動を追うと、デビューがもたらしたものは知名度の変化だけではありません。継続して曲と公演を発表できるグループになったことで、歌う、踊る、演じるという経験に、書く、演奏する、構成を考える役割が加わりました。結成前の経験は、デビュー後の活動の中で使い方を広げていったのです。
まとめ|Hey! Say! JUMPのデビューまでの歩みを振り返ろう
Hey! Say! JUMPのデビューまでの道のりは、幼いころの憧れや家族の応募を入口に、それぞれが舞台、テレビ、映像作品で経験を重ねた歴史です。知念侑李はダンスと嵐のステージに憧れ、山田涼介は家族に勧められたオーディション、伊野尾慧はテレビの仕事への興味から活動の入口に立ちました。出発点が異なるメンバーたちには、結成以前から共演や個人での出演歴がありました。2007年夏には期間限定のHey! Say! 7がCDを発売し、9月24日に10人組のHey! Say! JUMPが正式に発表されます。その後、バレーボール大会の応援を担い、11月14日に「Ultra Music Power」でデビュー。12月には東京ドームで初の単独コンサートを開催しました。翌年以降はドラマと主題歌、公演、アルバム制作へと活動が広がり、メンバーが作詞や演出にも関わるようになります。この順序を知ると、デビュー曲は、別々に積んできた経験がグループの活動へ合流した作品として聴けます。最初のCDや初期の公演映像に触れる際は、歌声や踊りに加え、それぞれがどのような入口からこの舞台へたどり着いたのかにも注目してみてください。


