SUPER EIGHTの経歴まとめ|活動開始から現在までを時系列で徹底解説

SUPER EIGHTの経歴まとめ|活動開始から現在までを時系列で徹底解説
SUPER EIGHTは、横山裕、村上信五、丸山隆平、安田章大、大倉忠義の5人で活動するグループです。1990年代から関西ジュニアとして経験を積み、2002年に関ジャニ∞としてグループの形が整いました。2004年には「浪花いろは節」でCDデビューし、その後は全国ツアー、ドーム公演、バンド演奏、冠番組など活動を拡大。メンバー構成の変化を経験しながら2019年から5人体制で歩み、2024年2月にはグループ名をSUPER EIGHTへ変更しました。デビュー20周年を越えた現在も新曲やライブ、音楽イベントなどを展開し、2027年には新アルバムとアリーナツアーも予定されています。ここでは、SUPER EIGHTがどのように活動を始め、転機を乗り越えて現在へつながってきたのかを時系列で詳しく解説します。
SUPER EIGHTの活動開始前
SUPER EIGHTとして知られる5人の歩みは、グループ結成以前の関西ジュニア時代から始まります。横山裕、村上信五、丸山隆平、安田章大、大倉忠義は、それぞれ異なる時期に芸能活動を始め、1990年代後半からテレビ番組、舞台、コンサートなどで経験を積んでいました。現在の5人全員が最初から一つのグループとして活動していたわけではなく、関西を中心とするジュニアの現場で共演を重ねる中で関係性を築いていったことが、SUPER EIGHTの原点です。特に横山と村上は早い時期からテレビや舞台への出演機会が多く、1997年には「Kanjani Knight」や舞台「KYO TO KYO」に出演。横山、村上、丸山、安田は同年のミュージカル「MASK」にも参加するなど、関西で活動するジュニアとして実践的な経験を積んでいました。
当時の活動では、歌やダンスだけでなく、芝居、トーク、バラエティへの対応力なども求められました。関西ジュニアは東京を中心とする活動とは異なる環境でステージを作る必要があり、限られた機会の中で観客を楽しませることが重要でした。この経験は、後にSUPER EIGHTが音楽だけでなくテレビのバラエティやライブのMCでも存在感を示す土台になります。また、大阪松竹座での舞台やコンサートは特に重要な場所となり、出演者自身が歌、芝居、トークを組み合わせて公演を作る経験を重ねました。メンバーがそれぞれ楽器に触れるようになり、のちにバンドスタイルへ発展していく背景にも、この実践的なステージ経験があります。
SUPER EIGHTの歴史を2002年の結成や2004年のCDデビューから見るだけでは、現在のグループが持つ特徴の一部しか分かりません。関西ジュニア時代には、全国的な知名度を持つ前から観客の反応を直接感じながら舞台を作り、自分たちなりの見せ方を模索していました。長い活動の中でメンバー構成やグループ名が変化しても、関西らしいトーク、ライブでの距離感、音楽と笑いを同じステージに共存させる感覚が残っているのは、この結成前の経験が大きく関係しています。
SUPER EIGHTが音楽活動を始めたきっかけ
SUPER EIGHTの音楽活動が本格化するきっかけとなったのは、関西ジュニアとして活動していたメンバーが大阪松竹座などで同じステージに立つ機会を増やしていったことです。1990年代後半からそれぞれ芸能活動を行っていましたが、2002年には後の関ジャニ∞につながるメンバーがまとまり、グループとしての形が明確になっていきました。同年8月には大阪松竹座で舞台「ANOTHER」が上演され、12月には「関西ジュニアX'masコンサート2002」を開催。歌やダンス、芝居、トークを組み合わせたステージを経験したことで、単なるジュニアの集合ではなく、継続的に活動するグループとしての基礎が作られていきます。
2003年になると、テレビ番組「ほんじゃに!」がスタートし、メンバーが継続的にテレビへ出演する環境も整いました。同年夏には「関ジャニ∞サマースペシャル DOUTONBOYS&スペシャルコンサート」、冬には「関ジャニ∞ X'masパーティー 2003」が大阪松竹座で開催され、グループ名を掲げた公演を重ねています。ここで重要なのは、CDデビュー前から自分たちを目的に会場へ来る観客の前でステージを作っていたことです。曲を披露するだけでなく、MC、コント、芝居なども含めて一公演を成立させる必要があり、この経験が後のライブスタイルにつながりました。
また、音楽活動の中で楽器演奏が徐々に重要になったこともSUPER EIGHTの特徴です。メンバーが楽器を担当し、歌って踊るスタイルとバンド演奏を両立する形が発展していきました。現在では丸山隆平のベース、安田章大のギター、大倉忠義のドラム、村上信五のキーボード、横山裕のトランペットやパーカッションなどがライブの大きな要素になっています。こうしたスタイルはデビュー後に突然始まったものではなく、関西でステージ経験を積む中で少しずつ形成されました。SUPER EIGHTの音楽活動は、一つのオーディションや楽曲だけをきっかけに始まったのではなく、舞台、コンサート、テレビを継続する過程で自然にグループの形と音楽性が作られていったのです。
SUPER EIGHTの結成・活動開始
関ジャニ∞としてのグループが結成されたのは2002年です。当時は現在の5人に渋谷すばる、錦戸亮、内博貴を加えた8人で活動していました。関西で活動していたメンバーが集まり、それまで個別や別ユニットで経験してきた歌、ダンス、芝居、トークを一つのグループで表現するようになります。グループ名に「関ジャニ」という言葉が使われたことからも分かるように、活動開始当初から関西を強く意識した存在でした。全国展開を前提に同じ形でスタートしたグループとは異なり、まず大阪松竹座や関西のテレビ番組などを中心に活動し、地元で経験と支持を積み上げていった点が大きな特徴です。
2002年以降、大阪松竹座はグループの重要な活動場所となりました。夏やクリスマスの公演を継続し、芝居とコンサートを組み合わせたステージを展開。2003年にはテレビ番組「ほんじゃに!」への出演が始まり、ステージ以外でもメンバーの関係性や個性が伝わる機会が増えていきました。当時から音楽だけに特化するのではなく、体を張った企画やトークにも取り組んでいたため、関ジャニ∞には「音楽をするグループ」と「バラエティに対応できるグループ」という二つの側面が同時に育っていきます。この複数の強みが、後に全国的なテレビ出演が増えた際にも大きな武器となりました。
一方、グループの活動環境は決して最初から恵まれていたわけではありません。関西を中心に活動する期間があり、東京での露出や全国規模の仕事は段階的に増えていきました。その分、大阪松竹座で観客の反応を直接感じながら自分たちのスタイルを磨く時間がありました。歌、バンド、コント、トークという異なる要素を一つのライブに入れる現在のSUPER EIGHTにも、この時期の経験が受け継がれています。2002年の結成は単に8人が集まった出来事ではなく、関西から自分たちらしいエンターテインメントを作り始めたスタート地点だったのです。
SUPER EIGHTのデビューまでの歩み
関ジャニ∞は2002年に結成された後、すぐに全国CDデビューしたわけではありません。大阪松竹座での公演やテレビ番組への出演を重ね、関西を中心にグループとしての活動を積み上げていきました。2003年には「ほんじゃに!」へのレギュラー出演や、大阪松竹座での夏・冬の公演を継続。グループ名を掲げた仕事が増えたことで、個々のジュニアではなく「関ジャニ∞」という存在が少しずつ定着していきます。そして2004年、結成から約2年を経てCDデビューの機会が訪れました。
2004年8月25日に発売されたデビュー曲が「浪花いろは節」です。ただし、最初から全国発売されたわけではなく、大阪、京都、兵庫、滋賀、奈良、和歌山の関西6府県限定でリリースされました。全国的なデビューを目指すグループが地域限定盤からスタートしたことは、関西を拠点に活動してきた関ジャニ∞らしい経歴です。「浪花いろは節」は演歌や歌謡曲の要素を取り入れ、タイトルや歌詞、衣装などでも関西色を強く打ち出しました。デビュー曲から一般的な王道ポップスとは異なる方向性を選んだことによって、グループの出自を明確に示す作品となりました。
関西限定盤が反響を得たことで、2004年9月22日には「浪花いろは節」が全国発売されます。その後、オリコン週間シングルランキングで1位を記録し、関西から全国へ活動を広げる重要なきっかけとなりました。年末には東京国際フォーラムで「感謝ni∞ in 東京」を開催し、これまで大阪中心だった活動を東京にも広げていきます。2005年には「大阪レイニーブルース」「好きやねん、大阪。」などを発売し、関西らしさを残しながら作品数を増やしました。SUPER EIGHTのデビューまでの道のりは、地域で経験を積み、関西限定CDを経て全国へ進むという段階的な流れでした。この経歴が、後に全国的なグループとなっても関西とのつながりを大切にする姿勢へつながっています。
SUPER EIGHTのデビュー後の活動
デビュー後の関ジャニ∞は、音楽作品とライブを中心に全国へ活動規模を広げました。2005年の「好きやねん、大阪。」に続き、2006年には初のフルアルバム「KJ1 F・T・O」を発売。ツアーや舞台も重ね、関西発のグループから全国規模で活動する存在へ成長していきます。2007年の「ズッコケ男道」はグループの明るさや勢いを伝える代表曲となり、同年には全国47都道府県を巡るツアーを開催しました。限られた地域からスタートしたグループが全国を巡るまでになったことは、デビュー後の大きな発展を示しています。
2008年には「無責任ヒーロー」を発売し、コミカルで親しみやすいグループ像をさらに強めました。一方、音楽面ではバンド演奏の存在感も拡大していきます。2010年の「LIFE~目の前の向こうへ~」はバンドスタイルを前面に出した代表曲となり、関ジャニ∞が笑いやにぎやかな楽曲だけのグループではないことを示しました。その後も「T.W.L」「オモイダマ」「言ったじゃないか」「NOROSHI」など異なるタイプの作品を発表し、J-POP、ロック、歌謡曲、応援歌など幅広いサウンドをレパートリーに加えています。
ライブの規模も大きくなり、東京ドーム、京セラドーム大阪などでの公演を継続。2012年にはデビュー8周年企画「∞祭」やスタジアム・ドームツアーなどを行い、周年をファンと共有するスタイルも定着していきました。また、2012年にはメンバーが主演する映画「エイトレンジャー」、2014年には続編「エイトレンジャー2」が公開されるなど、グループのキャラクターを映画へ展開する企画も実現しました。テレビではバラエティ番組への出演が増え、音楽以外の場でもメンバーそれぞれの個性が知られるようになります。デビュー後の活動では、CDを発売するアイドルという枠だけにとどまらず、ライブバンド、バラエティ、俳優など複数の顔を持つグループへ発展していきました。
SUPER EIGHTが注目を集めた転機
SUPER EIGHTの長い歴史には複数の転機があります。音楽面で大きな変化となったのは、バンド演奏をグループの重要な武器として定着させたことです。「LIFE~目の前の向こうへ~」をはじめ、ライブでメンバー自身が楽器を演奏する曲が増え、歌やダンスとは別の魅力を見せるようになりました。2015年にはテレビ朝日系で「関ジャム 完全燃SHOW」がスタート。さまざまなアーティスト、ミュージシャン、作詞家、作曲家、プロデューサーなどを迎えて音楽を掘り下げ、メンバー自身もセッションに参加する番組として発展しました。バラエティのイメージと本格的な音楽活動を同時に見せられる場ができたことは、グループの音楽的な立ち位置を広げる重要な転機でした。
一方、2018年から2019年にかけてはメンバー構成が大きく変化します。2018年に渋谷すばるがグループを離れ、2019年には錦戸亮も脱退しました。長年ともに活動してきたメンバーが続けて抜けたことで、グループは現在の横山裕、村上信五、丸山隆平、安田章大、大倉忠義の5人体制となります。2019年にはデビュー15周年ツアー「十五祭」を開催し、それまでの歴史を振り返った後、5人として次の活動へ進みました。
5人体制では、それまでの楽曲を新しい歌割りや演奏で再構成する必要がありましたが、過去の作品を封印するのではなく、現在のメンバーで受け継ぐ道を選びました。2021年にはアルバム「8BEAT」を発売し、5人での新しい音楽を本格的に提示。2022年にはスタジアムライブ「18祭」、2022年末から2023年にはドームツアー「18祭」を開催し、大規模会場で活動を継続できることを示しました。メンバー減少を経てもバンド演奏や代表曲を受け継ぎ、5人のグループとしてステージを再構築したことは、現在のSUPER EIGHTへつながる大きな転換点です。
SUPER EIGHTの近年の活動
5人体制が定着した後、グループにはもう一つ大きな転機が訪れます。2024年2月4日、それまで20年以上使用してきた「関ジャニ∞」という名称を変更し、新しいグループ名「SUPER EIGHT」で活動することを発表しました。改名は長年親しまれてきた名前との別れでもありましたが、「EIGHT」という言葉を残すことで、過去の歴史を受け継ぎながら次へ進む形が選ばれました。2004年のCDデビューからちょうど20周年を迎える年でもあり、グループにとって2024年は歴史を振り返りつつ新しい名前で再出発する節目となりました。
同年7月31日には改名後初となる11枚目のオリジナルアルバム「SUPER EIGHT」を発売しました。セルフタイトルを冠した作品で、「SUPER EIGHT=SUPER HERO」をテーマに制作され、つんく♂、岡村靖幸、山内総一郎、片岡健太、asmiなど幅広いクリエイターが参加しました。長いキャリアを持ちながら、新しいグループ名のスタートに合わせて外部アーティストとのつながりを積極的に作品へ取り込んだ点が特徴です。同年には「超アリーナツアー2024 SUPER EIGHT」、年末から2025年にかけて「超DOME TOUR 二十祭」を開催し、改名と20周年をライブでも表現しました。
2025年にはデビュー21周年の最初の大きなライブとして、グループ初となる日本武道館公演「超八 in 日本武道館」を開催しました。バンド楽曲を中心に19曲を披露し、20周年を終えた後のSUPER EIGHTが音楽面でどこへ進むのかを示す公演となっています。また「EIGHT-JAM」と連動した「EIGHT-JAM FES」を継続して開催し、他のアーティストとの共演やセッションにも取り組んでいます。20周年をゴールとするのではなく、改名後も新しいライブや音楽イベントを展開したことで、SUPER EIGHTという名称が新たな活動の土台として定着していきました。
SUPER EIGHTの現在と今後の活動
2026年現在、SUPER EIGHTは横山裕、村上信五、丸山隆平、安田章大、大倉忠義の5人で活動しています。音楽面では5月28日にデジタルシングル「ダンダーラ」を配信しました。同曲は第一興商のCMソングとして使用され、8月5日には同曲を冠したEP「ダンダーラ」も発売されています。7月2日にはデジタルシングル「再咲」を発表し、ドラマ主題歌として展開。さらにORANGE RANGEから提供された「Do it!!!!!」なども発表するなど、20周年を越えた後も新しい楽曲制作を積極的に続けています。
ライブや音楽番組で過去の代表曲を現在の5人で届ける活動も行われています。7月には「EIGHT-JAM FES 2026」を開催し、8月には「オモイダマ」を披露した「THE FIRST TAKE」の映像が公開されました。また、令和8年8月8日という「8」が重なる日にはSUPER EIGHTにとって特別な企画が展開され、同日に2027年春のニューアルバム発売とアリーナツアー開催が発表されました。改名後の活動を一時的な記念企画にせず、次のオリジナル作品と全国ライブへつなげる計画がすでに進んでいます。
個人活動も並行しており、横山はソロ音楽プロジェクト、村上はテレビやイベント、丸山は舞台や映画、安田は音楽劇やソロ音楽、大倉はプロデュースや映像企画など、それぞれ異なる分野で活動しています。2026年3月には大阪松竹座にゆかりのあるメンバーが集まる公演にも参加し、結成前からの原点を改めて振り返る機会もありました。また、10月から11月には関西にゆかりのあるグループが集う「KAMIGATA EXPO PARK FES 2026」への出演も予定されています。関西ジュニア時代からの歴史を残しながら、新曲、ソロ活動、他世代との共演、そして2027年のアルバムとアリーナツアーへ進んでいることが、現在のSUPER EIGHTの姿です。
まとめ|SUPER EIGHTの経歴を振り返ろう
SUPER EIGHTの歴史は、横山裕、村上信五、丸山隆平、安田章大、大倉忠義らが関西ジュニアとして活動していた1990年代から始まります。2002年に関ジャニ∞としてグループの形が整い、大阪松竹座を中心に経験を積んだ後、2004年に「浪花いろは節」でCDデビューしました。関西限定発売から全国へ進み、「ズッコケ男道」「無責任ヒーロー」「LIFE~目の前の向こうへ~」「オモイダマ」など幅広い楽曲を発表。バンド演奏、テレビ、映画、ドーム公演などへ活動を広げてきました。2018年と2019年のメンバー脱退を経て現在の5人体制となり、2024年にはSUPER EIGHTへ改名。同年のデビュー20周年を越えた後も日本武道館公演、新曲、EP「ダンダーラ」、「EIGHT-JAM FES」など新たな活動を展開しています。2027年春にはニューアルバムとアリーナツアーも予定されており、関西で培った原点を残しながら、現在の5人で次の時代へ進み続けています。


