超特急のデビューまでの道のり|活動開始のきっかけ・転機を解説

超特急のデビューまでの道のり|活動開始のきっかけ・転機を解説
超特急は、2012年6月10日にシングル「TRAIN」でCDデビューしたメインダンサー&バックボーカルグループです。その出発点には、芸能事務所との出会い、EBiDANでの活動、メンバーの加入、路上ライブやインターネット配信など、いくつもの段階がありました。現在のステージからは想像しにくい、ダンス未経験で新しい役割に挑んだメンバーの姿もあります。この記事では、超特急の活動開始前からデビュー直後までを中心に、当時の告知と本人たちの発言を踏まえて解説します。結成日とCDデビュー日の違い、デビュー曲の発売方法も整理し、一つひとつの経験がグループの活動へどうつながったのかをたどります。
超特急の活動開始前の経歴
超特急の活動開始前には、メンバーそれぞれが異なる形で芸能界に入った過程があります。例えば、カイこと小笠原海は、オーディション情報サイト「Deview」に登録したことが事務所との出会いにつながりました。母親と掲載オーディションへの応募を相談し、ウェブ上で履歴書を作成したところ、約1週間後にスカウト機能を通してスタッフから連絡が来たと語っています。ここでのインターネット利用は、自作曲の投稿や動画の再生回数をきっかけにしたものではなく、芸能活動への応募と人材発掘を結ぶ仕組みでした。一方、タクヤこと草川拓弥は、中学1年生の終わり頃、サッカーの練習で学校へ向かう途中に声を掛けられ、オーディションの案内を渡されたそうです。本人は当初、芸能界に特に興味があったわけではありませんでしたが、いとこの後押しもあり、オーディションを受けて事務所に所属しました。同じグループに加わる二人でも、応募情報への登録と街中での声掛けという違いがあります。超特急の始まりを知るには、グループへの参加以前に、それぞれが芸能活動への入口を通っていたことが重要です。
所属後の活動も、最初から超特急としての歌やダンスに限られていたわけではありません。タクヤは俳優の仕事を始め、雑誌「nicola」では2009年2月号からメンズモデルとして活動していました。グループに入る前に、演技や撮影の現場を経験していたことになります。また、母体となるEBiDANは、スターダストプロモーションの若手男性俳優・タレントが集まる場で、初期には演劇や舞台の活動がありました。カイも、超特急が生まれる前はEBiDANで演技に取り組んでいたと説明しています。メンバー間の交流も結成以前から存在し、カイとリョウガは事務所で知り合い、話したり食事をしたりする関係でした。つまり、超特急は全員が初対面の状態から突然始まったグループではありません。個人で仕事をする経験と、同世代の仲間と活動する経験が、結成前の段階にありました。歌手になるためだけの一本道を歩んできた人たちが集まったのではなく、異なる進路や経験が交わった先に、グループとしての音楽活動が生まれたのです。
超特急が音楽に興味を持ったきっかけ
超特急のメンバーが音楽に関心を持った過程には、聴く楽しさだけでなく、実際に歌うことや踊ることを通じた経験があります。タカシは、小学6年生のとき、姉の結婚式で絢香とコブクロの「あなたと」を姉と一緒に歌ったことを覚えていると話しています。その頃は将来自分が超特急に入るとは思っていなかったものの、歌うことの楽しさを感じたそうです。家族を祝う場で歌った経験が、本人の記憶に残る音楽との接点になっていました。ただし、歌う楽しさを知ったことと、すぐに職業として歌手を志したことは同じではありません。タカシは後年、グループの活動を始める前には本格的に歌を学んだことがなく、もともとボーカル志望でもなかったと振り返っています。音楽に親しむ気持ちが先にあり、担当を引き受けて活動する中で、歌を仕事にする自覚が育っていったと捉えられます。こうした段階を分けて考えると、現在のバックボーカルとしての姿を、幼い頃から決まっていた進路のように説明せずに理解できます。
ダンスを通じて音楽に近付いたメンバーもいます。ユーキは器械体操に親しんだ後、小学生の頃にダンスを習い始め、長く踊ることを続けていました。芸能界への憧れについては、PrizmaXのステージを見て格好よいと感じた経験を挙げています。また、リョウガは親がマイケル・ジャクソンを好きだったため、幼い頃から映画「ムーンウォーカー」を繰り返し見ていたと語っています。音だけを聴くのではなく、身体の動きや映像を含めて音楽に触れていた点が共通しています。一方、カイは2014年のインタビューでK-POPやBEASTへの関心を話しており、歌、ダンス、ファッションを合わせた表現に目を向けていました。これは結成前の決定的な出来事を示す発言ではありませんが、初期のメンバーがどのような音楽表現を見ていたかを知る手掛かりです。全員の音楽への入口を、一人のアーティストや一つの出来事にまとめることはできません。家庭で触れた映像、人前で歌った体験、ダンスの習い事、先輩のステージなど、異なる経験がそれぞれの関心を育てています。その違いを持つ人たちが、のちに同じ楽曲を歌と踊りで表現することになります。
超特急が活動を始めたきっかけ
超特急がグループとして活動を始めたきっかけは、EBiDANの中から新たなユニットをつくる動きが生まれたことでした。当時の公式ブログには、複数の新ユニットとともに「超特急☆-BULLET TRAIN-」の名前とメンバーが発表されています。そこに記されているのは、松尾太陽、吉野晃一、小笠原海、竹村翔、船津稜雅、福田佑亮、村田祐基の7人です。後の活動名では、タカシ、コーイチ、カイ、ショウ、リョウガ、ユースケ、ユーキに当たります。この初期の発表段階と、CDデビュー時のメンバー構成は同一ではありません。長く活動してきたタクヤも、この最初の告知には含まれていませんでした。グループの公式な結成日は2011年12月25日とされています。メンバー決定の告知、グループとしての活動開始、CDの発売を、それぞれ別の段階として把握すると、デビューまでの経緯を整理しやすくなります。同じ時期にDISH//も生まれ、超特急はEBiDANの仲間と活動の場を共有しながら出発しました。
結成に際して特徴となったのが、メインダンサー&バックボーカルという考え方です。ダンサーが前面に立ち、ボーカルが歌唱で支える構成は、踊るメンバーの動きや表情を楽曲の見せ場にするものでした。カイは、演劇や舞台に取り組んでいたところから歌とダンスのグループをつくることになり、ダンスが前に出る構成をうれしく感じたと話しています。ユーキも、演技への関心を持ちつつ、ダンスを生かした活動をしたいと考えていた時期に超特急ができたと説明しています。また、ユースケは、事務所を辞めようと考えた時期を経てEBiDANに参加し、さらにオーディションから超特急へ入ったと振り返っています。グループの誕生は、得意なことを伸ばす機会になっただけでなく、芸能活動を続ける新しい道にもなりました。結成は、経験のあるメンバーだけが集まって完成形を披露するための出来事ではありません。それぞれが役割を引き受け、歌とダンスを組み合わせた表現を一緒につくる始まりでした。ここから個人の経験を、グループ全体のパフォーマンスへ結び付ける段階に入ります。
超特急のデビュー前の活動
デビュー前の超特急は、ライブとインターネットでの発信を並行していました。2012年3月15日の公式ブログでは、Ustreamによる「超特急TV」の配信が紹介されています。Ustreamは当時使われていた動画配信サービスで、その日の放送を見られなかった人に向けて、アーカイブも案内されていました。告知には、3月20日のライブで披露する「No.1」ともう一曲を動画内で流していることも記されています。CDが発売される前から、楽曲を知り、実際の公演へ関心を持つ機会が設けられていたのです。3月20日には、SHIBUYA O-WESTで「EBiDAN THE LIVE 春の陣 ~お披露目!新ユニット旋風の乱~」に出演しました。ブログではチケットや物販、終演後の握手会も案内されており、ステージを見せることと、メンバーに接する機会が一緒に用意されていたと分かります。現在の短い動画を中心とした発信とは形式が異なりますが、配信で興味を持ってもらい、ライブでパフォーマンスを見てもらう流れは、この時点ですでに確認できます。
同年3月31日には、新大久保で「BULLET-TRAIN THE STREET Vo.1」が行われました。当日の告知では、メインダンサー5人による観覧無料のパフォーマンスとされ、屋根のない屋外スペースでの実施が案内されています。悪天候の中で短い時間ながら公演を終えたことは、ユーキの当日のブログでも報告されました。ボーカルを含む全員での公演とは違い、ダンサーの表現を前面に出す活動があったことが分かります。さらに5月30日には、六本木のmorph-tokyoで行われる「マイパワーレシピ!!」への出演が告知され、DISH//やDa-iCEなど、複数の出演者と同じ場に立つ機会もありました。初期の活動を路上ライブだけで説明すると、こうしたライブハウスでの出演や配信を見落としてしまいます。超特急は、異なる会場や方法で人前に出ながら、グループを知ってもらう機会をつくっていました。特定の配信が爆発的な人気を生み、それだけでデビューが決まったと確認できるわけではありません。記録から見えるのは、告知、配信、ライブを重ね、発売前から観客との接点を持っていた姿です。
超特急が経験した大きな転機
デビュー前の大きな転機として挙げられるのが、2012年3月のタクヤ加入です。これは人数を大幅に増やした後年の新メンバー募集とは異なり、CDデビューへ向かう初期の構成が変わった出来事でした。グループに入るまで俳優として活動していたタクヤは、本人の説明によるとダンス未経験でした。メインダンサーになる話を受けても、すぐに自信を持って引き受けたわけではなく、自分が選ばれた理由が分からず悩んだと語っています。一方で、同級生のカイがすでに参加していたことや、俳優とは違う世界を経験することへの興味もありました。芸能活動そのものは経験していても、音楽グループの一員として踊ることは新しい挑戦だったのです。ここを区別すると、タクヤの加入を単に経験者が補強された出来事として捉えることはできません。撮影や演技の経験を持つ人が、別の技能を一から学び、グループのパフォーマンスへ参加する転機でした。本人の仕事の幅が変わると同時に、超特急も新しいメンバーで実演する準備を進めることになります。
加入後は、数週間先にライブが控えていたため、短期間で曲と振り付けを覚える必要がありました。タクヤは、ついていくことに必死だったと振り返り、別のインタビューではカイが放課後にダンスを教えてくれたことも明かしています。同じ舞台に立つために、メンバー同士で支える関係が実際の練習にも表れていました。タクヤの経験で重要なのは、加入した瞬間に問題が解決したのではなく、参加を決めてから習得の過程が始まったことです。プロフィールの「メインダンサー」という肩書だけを見ると、最初から踊ることが得意だったように思えるかもしれません。しかし、初期には役割を与えられ、その役割を果たせるようになるために練習していました。カイの助けがあったという具体的な発言は、個人の努力だけでなく、グループ内の協力が活動を支えていたことを示します。デビュー前の転機は、テレビ出演や受賞のように外から見えやすい出来事ばかりではありません。新しいメンバーが加わり、未経験のことを学び、仲間と同じステージに立つこと自体が、その後の活動を変える出来事でした。超特急の初期には、そうした内側の変化と準備がありました。
超特急がデビューにつながったきっかけ
超特急がCDデビューへ進んだ経緯は、ユニットとしての活動と、作品を届けるための販売・公演企画が具体化した流れから理解できます。確認できる当時の発表では、DISH//と超特急がともにCDを出し、同日にツーマンライブを行うことが案内されていました。デビューの直接の理由を、特定の審査員の一言や一度のライブの反響だけに結び付ける情報は確認できません。新ユニットとして活動し、オリジナル曲を披露してきた段階から、その音楽をCDとして届ける段階へ進んだと整理するのが適切です。発売された1stシングル「TRAIN」には、タイトル曲と「No More Cry」、それぞれのインストゥルメンタル版が収録されました。「No More Cry」は超特急の初めてのオリジナル曲として紹介されており、最初のCDは、すでにグループの活動と結び付いていた楽曲も収める作品でした。CDデビュー曲と、グループが最初に持ったオリジナル曲は、同じ意味ではありません。この違いを知ると、「TRAIN」と「No More Cry」がそれぞれ初期の歴史でどの位置にあるかが分かります。
発売方法にも、ライブを軸にした初期らしい特徴がありました。2012年6月10日、池袋EDGEでの公演に合わせてCDを先行リリースし、その後、ローソン・HMVの販売ルートへ展開する形です。当時のHMVの案内には6月12日からの店頭販売と、商品欄の6月13日発売という表記がある一方、グループの公式プロフィールでは6月10日をCDデビュー日としています。異なる日付が出てくるのは、会場での先行販売と、その後の店舗での取り扱いを区別する必要があるためです。現在の経歴を説明するときの基準は、公式に示されている6月10日になります。また、この作品はローソン・HMV限定で販売されたインディーズデビュー作でした。最初からすべての販売店で一斉に展開したという説明では、当時の仕組みを正確に表せません。音源を制作すること、ライブで手渡せる機会をつくること、店頭で購入できるようにすることが組み合わされていました。超特急のデビューにつながったのは、こうした作品と発表の場の具体化です。グループを結成しただけでなく、聴き手が持ち帰って繰り返し聴ける最初の作品ができたことが、次の活動を始める節目になりました。
超特急のデビュー当時の活動
2012年6月10日のCDデビュー時、超特急は7人組でした。バックボーカルはコーイチとタカシ、メインダンサーはカイ、リョウガ、タクヤ、ユーキ、ユースケです。当日は池袋EDGEで「EBiDAN THE TITLE MATCH ~Hit and away~ DISH// VS 超特急」というツーマンライブが組まれ、2部制での実施が告知されていました。CDを発表する日が、観客の前でパフォーマンスをする日と重なっていたことになります。DISH//も同時期にインディーズデビューする仲間で、二組の活動が並行して紹介されていました。超特急を単独の存在として見るだけでなく、初期には同じEBiDANのグループと一緒に公演や発売企画を進めていた点も押さえておきたいところです。また、デビュー時のタカシは15歳で、他のメンバーも10代でした。社会人として十分な経験を積んでからの始動ではなく、学校生活や進路を考える時期に音楽活動が進んでいました。完成された姿を一度発表して終わるのではなく、若いメンバーが活動しながら成長していく始まりでもありました。
発売に合わせて、「DISH// & 超特急同発!インディーズデビューHMVツアー ~それいけ!つーぱんマン2012夏~」も企画されました。日程には6月のららぽーと豊洲を皮切りに、7月のコスモワールド、ららぽーと横浜、イオンモール船橋、イトーヨーカドー宇都宮などが並びます。音源の発売後も、商業施設や身近な場所で直接パフォーマンスを見せる機会が設けられていました。大規模な単独公演だけを目指す活動ではなく、会場ごとに楽曲とメンバーを知ってもらう形で出発したことが分かります。同年8月には「EBiDAN THE LIVE 2012夏 ~お祭り騒ぎの乱~」への出演も案内され、10月24日には2ndシングル「Shake body」を発売しました。同作には「Secret Express」「panipani」も収録され、デビュー盤に続くレパートリーが増えています。最初のCDを出したことが、そのまま活動の完成を意味したわけではありません。発売した曲を披露し、次の曲を準備し、別の会場に立つという継続的な動きが始まりました。デビュー当時の超特急は、作品発表と対面でのパフォーマンスを繰り返す中で、活動の基盤をつくっていたグループです。
超特急のデビューがその後の活動に与えた影響
超特急のCDデビューがその後に与えた影響は、まず、繰り返し披露できる楽曲と、聴き手が振り返れる出発点を持ったことにあります。初期のオリジナル曲は、その場限りのパフォーマンスで終わらず、音源として残りました。2013年には「POLICEMEN」「Bloody Night」などを発表し、2014年12月には1stアルバム「RING」を発売します。シングルで曲を重ねることがアルバムの制作につながり、ライブで構成できる内容も広がっていきました。ユーキは後年、路上ライブやショッピングモールでのフリーライブから始まり、Zepp、ホール、アリーナへと経験を積んだと説明しています。デビュー前後に人前で披露する機会を重ねていたことは、後のライブ中心の活動を理解するための重要な背景です。ただし、一度のリリースイベントが大きな会場への進出を決めたという単純な因果関係ではありません。新しい曲をつくり、公演を続ける積み重ねの中で、活動する場所と表現できる内容が変化していったと捉えることができます。
デビュー曲が節目の公演で歌われ続けていることも、その影響を具体的に示しています。2015年6月のデビュー3周年記念公演では、「TRAIN」からライブが始まりました。過去の曲を通じて、活動を始めた頃と現在の姿を同じステージ上で結び付けられるようになったのです。さらに、9人体制で行った2023年の「超特急のザ・ベストナイン」では、「TRAIN」を発展させた「Re-TRAIN」を披露しました。メンバー構成が変わっても、デビュー期の曲が新しい表現の中に引き継がれています。デビューの経験は、メンバー個人の意識にも関わりました。タカシは2017年のインタビューで、活動を始めた頃はボーカル志望ではなかったものの、5年間でバックボーカルとしての自信がついたと語っています。担当を与えられた段階から、仕事として自分の役割に確信を持つ段階へ変わったことが分かります。超特急のデビューは、すべての準備が完了した到達点というより、音源とライブを通じて表現を磨き続ける出発点でした。その後の活動を知る際にも、最初から完成されていた姿を想定するより、作品と実演の経験を通じて変化した過程に目を向けると理解が深まります。
まとめ|超特急のデビューまでの歩みを振り返ろう
超特急のデビューまでの道のりには、メンバーそれぞれの芸能界との出会い、EBiDANでの活動、グループ結成、ライブや配信による発信がありました。最初から全員が同じ経験や目標を持っていたわけではなく、歌やダンスの役割を引き受けた後で、必要な技術を身に付けていったメンバーもいます。タクヤの加入と、カイが練習を助けたエピソードは、その過程を具体的に伝えています。2012年6月10日の「TRAIN」によるCDデビューは、作品制作とライブ、販売の仕組みが結び付いた節目でした。その後もリリースツアーや新曲発表を続け、初期の経験を次の活動へつなげています。結成日とCDデビュー日、最初のオリジナル曲とデビューシングルを区別すると、超特急の出発点がより明確になります。現在のパフォーマンスに興味を持った人は、「TRAIN」や「No More Cry」などの初期作品にも触れてみてください。後年の公演での表現と見比べることで、歌、ダンス、メンバー同士の連携がどのように変わってきたのかを楽しめます。デビュー前後の歩みを知ることは、超特急が活動を重ねてきた意味を、具体的な楽曲から理解する手掛かりになるでしょう。


