Adoのデビューまでの道のり|活動開始のきっかけ・転機を解説

出典:ナタリー

Adoのデビューまでの道のり|活動開始のきっかけ・転機を解説

Adoは、2020年10月23日に「うっせぇわ」でメジャーデビューした歌い手です。その出発点は、幼い頃に親しんだ音楽と、小学生時代に出会ったボーカロイドや「歌ってみた」の文化にあります。14歳で始めた動画投稿、自宅での録音、歌い方を模索する日々、クリエイターの楽曲への参加を経て、レコード会社からの連絡につながりました。デビュー曲だけを見ると突然登場したようにも感じられますが、その前には、自分の声をどう届けるか考えながら活動した時間があります。この記事では、活動開始前の背景から初投稿、表現面の転機、デビュー曲の制作と発表直後までを掘り下げ、Adoが歌い手として歩み始めた道のりを紹介します。

Adoの活動開始前の経歴

Adoは2002年10月24日生まれ、東京都出身のソロアーティストです。メジャーデビュー時には高校3年生でしたが、歌い手として活動を始めたのは中学生の頃で、それ以前は絵やアニメ、インターネットのコンテンツに親しんでいました。小学生時代の将来の夢は漫画家やイラストレーターだったと話しており、最初から歌手という職業だけを目指していたわけではありません。学校では目立つ立場ではなく、教室の端で絵を描いたり、趣味の合う数人の友人と話したりしていたと振り返っています。本人が語る当時の姿からは、日常の対人関係で積極的に前へ出ることと、自分の好きな作品や表現に熱中することが、必ずしも同じではなかったと分かります。後年の力強い歌声から活動前の性格まで決めつけると、この違いは見落とされてしまいます。本人は、自分に自信がなかった一方で、歌うことについては活動を始める前から自信を持っていたとも話しています。学校生活での自己評価と、歌に向けた期待が並行して存在していたことが、ネット上で表現を始める背景になりました。

「Ado」という名前の由来も、音楽業界に入ってから付けられた芸名ではなく、小学校の国語の授業にあります。狂言で使われる「シテ」と「アド」という言葉を知り、アドの響きが格好いいと感じたことが名前を選ぶきっかけでした。シテが主役、アドがその相手役であるという意味を深く理解したのは、活動を始めた後だったと説明しています。したがって、最初から誰かを支えるという理念を掲げて命名した、と説明するのは正確ではありません。言葉の響きへの関心が先にあり、その名前の意味が後から本人の活動観と重なっていったのです。また、13歳の頃には両親にギターを買ってもらい、ギターを弾きながら歌う姿にも憧れていました。ただし、後の活動の中心になったのは弾き語りではなく、録音した歌声を動画で届ける方法です。絵を描くことへの関心、歌への自信、楽器を使う表現への憧れなど、活動前には複数の入口がありました。その中で自分にとって実行できる方法として選ばれていったのが、歌い手としての動画投稿でした。

Adoが音楽に興味を持ったきっかけ

Adoが音楽に触れた最初期の記憶は、3〜4歳頃までさかのぼります。音楽好きの父親が持っていたレコードや、ディズニー作品のCD、DVDが身近にあり、特にプリンセスが登場する作品を好んで見ていました。劇中の人物が歌い始める場面、オーケストラを使った音楽、音に合わせてアニメーションが動く様子に惹かれたと語っています。幼い頃の関心は、特定の歌手の歌唱力を分析するようなものではなく、物語や映像と音楽が一緒になった体験でした。歌によって登場人物の気持ちが伝わり、場面の印象が変わる作品に親しんでいたことは、本人が後に歌の感情表現について話す際にも挙げる背景です。Adoの音楽的な原点をボーカロイドだけで説明すると、この幼少期の経験が抜け落ちます。ボーカロイドに出会う前から、声や音楽が物語の中で働く面白さを感じていたのです。本人は、音楽好きの父親から影響を受けたとも考えています。

その後、小学校低学年の頃にボーカロイドの楽曲に出会います。いとこを通じて知ったというこの音楽との接点は、聴く作品の世界を広げました。本人が初期に親しんだ曲として挙げているのは「悪ノ娘」や「ワールドイズマイン」などです。ボーカロイドは、歌声を合成する技術やソフトウェアを使って歌を制作する仕組みで、その楽曲を作る人は「ボカロP」と呼ばれます。Adoは、まずこうした曲を楽しむ聴き手としてこの文化に入りました。音楽との距離をさらに縮めたのが、動画を見られる身近な機器です。2014年にニンテンドー3DS向けの「ニコニコ」が配信され、3DSをよく使っていた本人も動画を視聴するようになりました。「うごくメモ帳」に親しんでいたことも、ボカロ曲や歌い手を知る入口として語っています。音楽はCDで聴くだけでなく、イラストや動画、視聴者の反応とともに楽しめるものになっていきました。この段階での大きな変化は、職業として歌手を目指す決断よりも、好きな作品を自分で探し、繰り返し聴く環境を得たことです。そこで見つけた曲と、その曲を人が歌う動画への関心が、次の活動開始につながります。

Adoが活動を始めたきっかけ

Adoが自分も歌ってみたいと考え始めたのは、小学5〜6年生の頃です。直接のきっかけは、ボーカロイドの楽曲を人間の声でカバーする「歌い手」に出会ったことでした。当時は「カゲロウプロジェクト」の楽曲が人気を集めており、本人も同じ作品をさまざまな歌い手がカバーする動画を聴いていました。同じ曲でも声質や歌い方によって印象が変わることを、複数の歌声を通じて体験していたのです。憧れていた存在には、そらる、まふまふ、りぶ、ウォルピスカーターなどがいます。歌い手への関心は、歌唱表現だけでなく、活動の形にも向けられていました。顔や本名を明かさず、キャラクターのイラストを自分の姿として使いながら、歌を多くの人に聴いてもらえる点に惹かれたと説明しています。アニメやボカロが好きだった本人にとって、そうした表現方法は親しみのあるものでした。また、自分に自信がなくても、この形なら挑戦できるかもしれないという気持ちが生まれていました。聴き手として好きだった文化の中に、自分も参加できる具体的な方法を見つけたことが、歌への憧れを活動へ変える入口になったのです。

実際の活動開始日は2017年1月10日です。14歳だったAdoは、ニコニコ動画にクワガタPの「君の体温」を歌った動画を投稿しました。最初に何を歌うかは迷ったものの、おしゃれで格好いいと感じたことからこの曲を選んだと振り返っています。初投稿は、レコード会社から楽曲を渡されて行った仕事ではなく、自分で歌いたい曲を選び、録音して公開する挑戦でした。録音方法を理解して動画を出すまでには準備の時間があり、投稿時にはわくわくしていたと話しています。さらに、活動開始から数日後には、友人に誘われてまふまふのワンマンライブ「ひきこもりでもLIVEがしたい!」へ足を運びました。ネットで聴いていた歌い手が実際に存在し、その歌を目当てに大勢の人が集まる光景に感銘を受けたといいます。この体験は、投稿を始めた直後に、歌い手として活動を続けた先の姿を見る機会になりました。ニコニコ超パーティーのような舞台に立つ夢も抱いており、動画を公開するだけでなく、いつか聴き手と同じ空間で歌うことが目標になっていきます。初投稿とライブ体験は、活動を始める行動と、その後に目指す場所をそれぞれ具体化した出来事でした。

Adoのデビュー前の活動

デビュー前のAdoは、既存曲を自分の声で歌う「歌ってみた」を軸に活動しました。この形式では、曲の構成や歌詞を新しく作る代わりに、歌い手が声の出し方、言葉の伝え方、フレーズの表情を考えます。本人が好きな歌い手の表現に影響を受けながら、曲ごとに自分の歌い方を試せる場でした。初期の録音場所は自分の部屋で、パソコンとマイクを使っていました。マイクスタンドがなく、コンデンサーマイクを手で持って歌ったことも振り返っています。最初から専用の録音スタジオが整っていたわけではなく、必要な作業を覚えながら投稿していた点が、この時期の活動の実態です。動画を見て歌い手に憧れることと、実際に録音して他人に聴かせることの間には、機材の扱いや公開までの準備があります。Adoの活動も、その工程を自分で進めるところから始まりました。完成した音源だけでは見えにくいものの、声を録り、作品として出す経験が継続していたことは、後に自分で歌唱の方向を判断する制作スタイルを考えるうえで欠かせません。歌う練習と、歌を録音物として届ける練習が並行していた時期といえます。

録音環境を変えたのは、中学3年生から高校1年生にかけての頃だったと本人は記憶しています。部屋からクローゼットへ移った背景には、歌い手がクローゼットで録音しているという記事を以前読んだ経験がありました。本人は当時の理由をはっきり覚えていないとしながら、部屋の反響が気になったのかもしれないと説明しています。服に囲まれて歌い、高校3年生の春頃には内部に防音用の素材も貼りました。ただし、この工夫を専門的な防音設備が完成したという意味で受け取るのは適切ではなく、身近な環境で録音しやすくする試行錯誤でした。衣服を多く掛けた空間で、パソコンの画面を見ながら録る方法は、後の楽曲参加でも使われています。歌い方の面では、好きな歌い手に加え、椎名林檎や倉橋ヨエコの表現も参考にしていたと語っています。カバーと並行して、自分で曲を作る試みもありました。2024年に発表した自作曲「初夏」の原形は、16〜17歳頃の夏にギターで作った曲だったと説明しています。正式な発表は後年になりますが、デビュー前から自分の感情を歌詞やメロディにする挑戦もしていました。公開したカバーに加え、こうした未発表の制作も、本人が歌との向き合い方を探していたことを示しています。

Adoが経験した大きな転機

表現面で大きな転機となったのは、2018年3月2日に投稿した和田たけあきの「キライ・キライ・ジガヒダイ!」のカバーです。Adoは、この曲を歌った頃から、がなり声や地声を強く張る歌い方を始め、自分に合っているのではないかと感じたと話しています。ここでいうがなりは、声に荒さや歪みを加えるような表現で、単に大きな声で歌うこととは違います。本人にとっては、歌い方の選択肢が増えただけでなく、歌詞の感情と自分の気持ちが結び付いた経験でした。当時は一人で活動し、再生回数が伸びないことに悩み、孤独を感じることもあったといいます。その中で、認められたい気持ちや複雑な感情を描く歌詞に共感しました。明るく前向きな感情だけでなく、普段は表に出しにくい気持ちも歌にできると感じたことが、この作品を本人にとって特別なものにしています。活動をやめようと考えたこともあるという歩みの中で、負の感情を表現へ向ける方法が見えてきました。「うっせぇわ」で広く知られる声の強さは、デビュー時に突然与えられた演出ではなく、カバー活動の中で本人が手応えを得た歌い方とつながっています。

活動の形を変えた転機としては、2019年12月16日に公開された、くじらの「金木犀 feat.Ado」への参加が挙げられます。それまでは既存曲を選んで歌う投稿が中心でしたが、この曲以降、さまざまなクリエイターの作品にボーカリストとして参加する機会が増えていきました。「feat.Ado」という表記は、その曲の歌唱にAdoが参加していることを示します。カバー投稿で自分の声を聴いてもらう段階から、作り手の作品をその声で完成させる段階へ活動が広がったのです。続いて、2020年3月29日にはjon-YAKITORYの「シカバネーゼ feat.Ado」が公開され、Spotifyの日本のバイラル50チャートで1位を獲得しました。バイラルチャートは楽曲の共有などを反映するもので、この作品が聴き手の間で広がっていたことを示しています。両作品は、自宅のクローゼットで録音した歌声がクリエイターの楽曲として届いた例でもあります。歌い方の発見と外部作品への参加は、それぞれ異なる転機です。前者が自分の表現への手応えを生み、後者がその声を必要とする作り手との接点を広げることで、デビュー前の活動に次の展開をもたらしました。

Adoがデビューにつながったきっかけ

Adoがメジャーデビューに向けてレコード会社と接点を持ったきっかけは、活動中に届いたTwitterのDMでした。本人は、レコード会社の担当者から連絡が来たと説明し、最初は本当の話なのか疑ったと振り返っています。ネットで公開していた活動が、音楽業界の関係者との連絡につながったのです。デビュー前にレコード会社で録音する機会があったことも、後年公開された音源から分かります。2026年3月に公式YouTubeで公開された「くちばしにチェリー」の録音には、タイトルに「20200623」という日付が付いており、本人はデビュー前にレコード会社で試しに録音した曲の一つと説明しています。さらに2026年10月の作品発表でも、この曲はデビュー前の課題曲だったと紹介されました。これは、正式なリリースより前に、既存曲を歌う場面がレコード会社とのやり取りにもあったことを示す資料です。試しの録音は、本人が活動中に公開していた動画とは別に、レコード会社の場で歌を録る経験があったことを伝えています。

デビュー曲を手掛けるsyudouとの接点にも、カバー投稿がありました。syudouは、友人にTikTokで自分の曲が使われていると教えられ、その歌声を調べた結果、Adoの「邪魔」のカバーにたどり着いたと語っています。それ以前から名前は見ていたものの、このときに歌声と名前が結び付いたという説明です。後の楽曲提供者が、投稿された歌唱を通してAdoの表現を知っていたことになります。Ado自身もsyudouのファンで、隠さずに感情を描く楽曲に惹かれていました。デビュー曲「うっせぇわ」は、syudouが作詞・作曲・編曲を担当しています。作り手は、依頼を受けた段階ですでにAdoの表現が成立していると考え、普段の自分の作風で曲を作ったと説明しています。Adoも、受け取った曲からいつも聴いていたsyudouらしさを感じ、強いタイトルや歌詞を含めて喜んで受け止めました。ここには、歌手の個性を一から設定するのではなく、投稿活動で育った表現と、本人が好きだった作り手の音楽が組み合わさる構図があります。レコード会社からの連絡と楽曲提供者による発見は別の出来事ですが、どちらも、デビュー前に公開した歌が次の活動を開く接点になっていました。

Adoのデビュー当時の活動

デビューに向けた情報発信は2020年10月に具体化しました。10月8日からSNSで毎日情報が公開され、10月10日に本人のSNSでメジャーデビューを発表、10月15日にはレーベルから告知が出ています。そして10月23日、「うっせぇわ」の配信とミュージックビデオの公開によってメジャーデビューを迎えました。この日は17歳で過ごす最後の日で、翌24日に18歳になっています。曲の発表と同時に、歌声を視覚的に伝える制作体制も示されました。アーティストイメージには、本人が以前から親しんでいたイラストレーターのORIHARAが関わり、ジャケットとミュージックビデオはWOOMAが担当しています。顔を見せる映像の代わりに、イラストと物語的な映像が歌を届ける形は、歌い手として親しんできた文化とつながっていました。歌唱の録音にはスタジオを使いましたが、自分のパソコンを持ち込み、スタジオの機材と組み合わせ、扉を閉めて一人で歌う方法を基本にしていたと説明しています。場所と機材は変わっても、歌を自分で録る姿勢がデビュー時の制作にも引き継がれていたのです。

「うっせぇわ」の歌唱では、歌詞をどう解釈し、どこに感情を置くかも本人が考えていました。曲には社会人の生活を思わせる場面が登場しますが、当時は高校生で、その経験を自伝として歌っていたわけではありません。ドラマや映画の場面を想像しつつ、怒りという学生にも共通する感情を見つけ、歌詞の強さを声に乗せたと話しています。サビについても、当初は地声で張るつもりだったものの、実際に試して裏声を使う形へ変えたと説明しています。歌唱全体を作曲者の細かな指示で再現したのではなく、自分で試して判断した部分があったのです。こうした歌声と映像を含む作品は公開後に広がり、ミュージックビデオは11月29日に1,000万回再生を突破しました。12月2日には、その反響を受けて「うっせぇわ」のピアノバージョンも公開されています。最初の曲を同じ形で届け続けるだけでなく、伴奏の異なる表現も示したことになります。デビュー直後の活動は、配信による作品発表、映像での提示、別バージョンの公開という流れでした。投稿活動で培った自己判断を保ちながら、関わる作り手と発信の範囲が広がった時期といえます。

Adoのデビューがその後の活動に与えた影響

「うっせぇわ」の反響は、Adoが別の作り手の音楽を歌う機会にもつながりました。2020年12月24日には、すりぃが手掛けた2作目のシングル「レディメイド」を発表しています。続く2021年2月14日の「ギラギラ」はてにをはが担当し、4月27日の「踊」には作詞でDECO*27、作曲でGigaとTeddyLoidが参加しました。デビュー曲の強い印象だけに活動を固定せず、異なる曲調や歌詞の中で声の表情を変える作品が続いたのです。この制作の広がりは、ボカロPの楽曲を聴き、カバーし、作品に歌唱参加してきたデビュー前の歩みとも接続しています。一方、聴き手との接点は動画サイトの外にも広がりました。2021年1月にはFM802の番組でラジオに初出演し、同月22日には「ミュージックステーション」に電話出演しています。本人の考えを、声と言葉で伝える機会も生まれました。楽曲の広がりも続き、2021年3月10日公開のBillboard JAPAN総合ソングチャートで「うっせぇわ」が1位を獲得。3月20日にはミュージックビデオが1億回再生を突破しました。デビューの反響が数日間の話題で終わらず、翌年まで聴取やメディア出演につながったことを示しています。

その後の作品をまとめる形として、2022年1月26日にはファーストアルバム「狂言」が発売されました。14曲を収録し、シングルで示してきた複数の作り手との関係を、まとまった作品として聴けるようになりました。同年4月4日には、Zepp DiverCityで初のワンマンライブ「喜劇」を開催しています。録音した声を届けることから始まった活動が、聴き手と同じ会場で歌う機会へ進んだ出来事です。舞台に立つ機会が生まれても、本人が大切にする歌い手としての考え方は続いています。本人はデビュー後も、ボーカロイドやボカロPの文化を自分に欠かせないものとし、音楽を通して広めていきたいと語っています。自分を知ってもらうことと、好きな作り手の音楽を届けることが、活動の中で結び付いているのです。デビューは、自宅の録音から始まった表現を、クリエイターとの制作、放送での発信、アルバム、ライブへ広げる入口になりました。その一方で、曲の感情を読み取り、自分の歌として届ける姿勢は、デビュー前から続く活動の核になっています。

まとめ|Adoのデビューまでの歩みを振り返ろう

Adoのデビューまでの道のりは、幼い頃の音楽体験から、ボーカロイドを聴くこと、歌い手への憧れ、自分の歌を公開する行動へとつながっています。2017年1月に14歳で始めた投稿は、録音方法を覚え、環境を工夫し、歌詞に合う声を探す実践の場でした。「キライ・キライ・ジガヒダイ!」で自分に合う表現を感じ、「金木犀」や「シカバネーゼ」への参加で外部の作り手との接点が広がります。その活動の中でレコード会社から連絡を受け、以前から好きだったsyudouが手掛ける「うっせぇわ」で、2020年10月23日にメジャーデビューしました。デビュー曲の歌唱にも、投稿時代と同じように自分で解釈し、試して判断する方法が生きています。その後に作品や出演の場が増えたことも、この土台から理解できます。Adoを知るときは、デビュー曲の再生回数だけでなく、その声が育ったカバーや初期の参加作品にも触れてみるとよいでしょう。どの曲で歌い方を見つけ、どの制作で活動の幅を広げたのかをたどることで、デビューが一つの突然の出来事ではなく、聴き手から歌い手へ、そして作品を任される歌手へと進む過程だったことが見えてきます。

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