Creepy Nutsのデビューまでの道のり|活動開始のきっかけ・転機を解説

Creepy Nutsのデビューまでの道のり|活動開始のきっかけ・転機を解説
Creepy Nutsのメジャーデビューは、R-指定とDJ松永がそれぞれの地域で音楽を始め、現場で出会い、二人で表現する方法を育てた先にあります。現在の代表曲から知った人には意外かもしれませんが、ユニットとして本格的に活動する以前にも、個人での制作や演奏、バトルで積んだ経験がありました。デビューまでの道のりを知るには、技術の実績だけでなく、相方を選んだ理由や、インディーズ作品で何を伝えようとしたかを見ることが大切です。この記事では、活動前の背景、音楽との出会い、結成と初期の作品、メジャー移籍の発表、デビュー当時の活動を詳しく解説します。その後の経歴を広く追うよりも、二人の音楽が形になり、広く届けられるまでの過程に焦点を当てます。
Creepy Nutsの活動開始前の経歴
Creepy Nutsを組む以前のR-指定とDJ松永は、異なる地域で育ち、それぞれに音楽以外の関心も持っていました。R-指定は1991年9月10日生まれで、大阪府堺市出身です。DJ松永は1990年8月23日生まれで、新潟県長岡市出身。学校の同級生として一緒に音楽を始めた二人ではなく、後にラッパーとDJとして活動する中で出会っています。結成前の背景を知るうえで印象的なのは、R-指定が子どもの頃から、自分で何かを作る遊びを好んでいたことです。本人は、絵を描いたり、漫画のキャラクターを考えたり、粘土で作った怪獣を少しずつ動かして撮影したりしていたと振り返っています。既存のものを見て楽しむだけでなく、自分の頭の中にあるものを形にする関心がありました。後に歌詞を書き始めた際も、その延長で、自分でもやってみたいという感覚があったと説明しています。一方、学生時代に好きな音楽を周囲へ広く話せていたわけではありません。家で歌詞を書き、ごく少数の友人と共有していた時期についても語っています。のちに人前で即興の言葉を出す姿だけを見ると分かりにくい、個人的な創作から始まった背景です。自分の中で作って楽しむ時間が、活動の最初の土台になっていました。
DJ松永が育った長岡も、二人の歩みを知るうえで重要な場所です。本人は、自然がある一方、店やクラブもある地方都市として地元を振り返っています。中学生の頃にはストリートファッションの雑誌を読み、駅の近くのセレクトショップや古着屋へ足を運んでいました。お金がなくて服を買えなくても、雑誌で見たものが並ぶ空間に触れること自体が楽しかったと話しています。友人と音楽やファッションについて話す時間もあり、音楽の好みが街の文化や人との会話の中で育っていきました。後の活動だけを見て、初めから大きな大会やメジャーデビューを目指した計画があったと捉えると、本人が語る初期の経験とはずれます。DJ松永は、明確な目標から逆算していたというより、好きなことに没頭するうちに音楽を仕事にしたい気持ちが強まったと説明しています。R-指定にも、まず自分で表現を試す時間がありました。二人の共通点は、身近な遊びや文化への関心を通じ、自分で表現する方向へ進んだことです。
Creepy Nutsが音楽に興味を持ったきっかけ
R-指定は子どもの頃、桑田佳祐や中島みゆきなど、父親世代の日本語の歌を聴いていました。その後、小学校高学年から中学生になる頃にSOUL’d OUTの「1,000,000 MONSTERS ATTACK」を聴き、ヒップホップへ関心を持ちます。Diggy-MO’のラップで何が語られているのか知りたくなったことが、他のラッパーの音楽を聴く入口になりました。言葉の響きに惹かれるだけでなく、意味や内容を理解しようとした点が重要です。そこからZeebraやRHYMESTERなどの作品へ進み、自分のことを名前まで含めて語ったり、音の似た言葉をつないだりするラップの形式に興味を深めていきます。しかし、好きな音楽を聴くことと、自分が同じ表現を行えると思うことは別でした。不良的な強さを感じるラップも好きだった一方、自分には同じ経験がないという距離感を持っていたと説明しています。その感覚を変えたのがRHYMESTERの『グレイゾーン』でした。歌詞に自分と重なる部分を見つけ、自分の経験や立場でもラップにできると受け止めるようになります。音楽への興味が、憧れの人物のまねだけでなく、自分のことを表現する可能性へ変わった段階です。後のCreepy Nutsで見られる、弱さや違和感も題材にする姿勢の背景に、この出会いがあります。
DJ松永が音楽に強く惹かれた最初のきっかけは、小学3年生の頃に見た映画『ブルースブラザーズ』でした。初めて買ってもらったCDも同作のサウンドトラックで、幼い頃は洋楽を聴く機会が多かったと語っています。日本のヒップホップに夢中になったのは中学2年生頃で、友人からRHYMESTER、KGDR、BUDDHA BRAND、MICROPHONE PAGERなどを教えてもらいました。RHYMESTERにはラジオも含めて親しみ、ラッパーとDJが一緒にライブを行う姿に憧れを持っています。当初はラップにも関心がありましたが、自分の思いを歌詞にして人前で語ることへのためらいから、DJの方向へ進んだと振り返っています。そのため、最初からクラブで選曲する仕事だけを思い描いていたのではなく、ラッパーと組んでステージに立つDJへの憧れがありました。二人は同じ音楽家に惹かれながら、R-指定は言葉を作る側、DJ松永は音を扱う側へ進みます。
Creepy Nutsが活動を始めたきっかけ
R-指定が実際に歌詞を書き始めたのは14歳頃です。最初は好きなラップを自分でもやってみる遊びの感覚で、音の響きや、自分について語る形式を試していました。15歳頃にはフリースタイルにも取り組みますが、最初から即興で自在に言葉が出たわけではありません。続けることでできるようになったと語っており、後に知られる技術にも練習の時間がありました。人前で本格的に披露した最初の経験は、高校1年生のとき、友人と行った野外イベントのオープンマイクだったと振り返っています。オープンマイクは、参加者がステージで歌やラップなどを披露できる場です。それ以前は友人とカラオケで歌うことが中心で、知らない人に向けて自分の表現を届ける経験は、この場から始まりました。高校2年生頃にはバトルへ本格的に出るようになり、大阪・梅田のサイファーにも参加しています。そこには学校の外で異なる生活をしている人たちが集まり、ラップを通じて交流していました。家で作った言葉を友人と共有する段階から、見知らぬ相手と同じビートの上で言葉を交わす段階へ進んだことが、活動の具体的な始まりです。表現を試す場所が増えたことで、ラップは一人で楽しむ遊びから、他者と関係を作るものへ変わっていきました。
DJ松永は高校2年生の頃、アルバイトで貯めたお金でターンテーブルのセットを購入しました。触っているうちに楽しさへ引き込まれ、練習に没頭したと話しています。やがて高校を中退し、アルバイトをしながらDJに取り組む生活へ進みました。初めて現場でDJをしたのは長岡のライブハウス音楽色堂で、練習していた技術がうまく出せなかった経験も残っています。また、DJの活動には地元のレコード店とのつながりがありました。店主にデモのミックスCDを聴いてもらい、曲のつなぎ方などの助言を受け、直したものを再び持っていくやり取りを重ねています。そのデモをイベントへ持ち込んだことから、出演の機会を得たと語っています。機材を買って家で練習すること、外部の意見を受けて音を直すこと、人のいる現場へ出向くことが連続していたのです。R-指定もDJ松永も、最初の一歩は自分の興味からでしたが、継続の中で他者に聴いてもらう場を作っています。後にユニットとして曲やライブを作る前から、表現を外へ出し、反応を受け止める経験を重ねていた点が大切です。
Creepy Nutsのデビュー前の活動
Creepy Nutsの結成につながる出会いは、大阪で同世代のラッパーやDJが集まるイベントにありました。R-指定が18歳、DJ松永が19歳の頃で、R-指定が当時活動していたコッペパンのイベントへ、新潟からDJ松永が参加しています。初めからデビューに向けて組み合わせられた二人ではなく、友人として仲良くなり、音楽を聴かせ合う関係が先にありました。その後、DJ松永が21歳で上京し、R-指定も東京へ仕事で行く機会が増えたことで、交流が続きます。R-指定はソロで活動する中で、単に音源を再生してもらうだけでなく、意思を共有し、二人でしっかり演奏を組み立てられる相手を求めていました。DJ松永にも、自分が音楽家として支持できるラッパーと組みたい考えがあり、互いの希望が重なったことがユニットの活動につながっています。気が合うことに加え、同じステージでどのように音楽を届けたいかを共有できた点が重要です。ラップする人と伴奏を担当する人が偶然並んだ編成ではなく、表現の考え方を合わせられる相手として二人で活動するようになりました。この段階で、個人として磨いてきた言葉と音が、一つの作品へ向かう関係になっています。
2010年代前半には、二人の共同制作と個人の仕事が並行していました。DJ松永は2012年にソロアルバム『DA FOOLISH』を発表し、2014年には『サーカス・メロディー』をリリースしています。R-指定も2014年にソロアルバム『セカンドオピニオン』を発表しました。二人で最初に作った曲として語られるのが、2013年発表の「シラフで酔狂」です。コンピレーション作品への参加をきっかけに作られた曲で、後のインタビューでR-指定は、音のループ、少し怪しげなメロディー、言葉遊びなどに、ユニットの作風の原型があったと振り返っています。さらにDJ松永の『サーカス・メロディー』には、R-指定と作った「トレンチコートマフィア」も収録されています。二人の協働は、Creepy Nuts名義の活動だけでなく、ソロ作品の中でも進んでいました。2015年春頃からはユニットとしてライブ、音源、ミュージックビデオの活動に本腰を入れます。結成と本格始動の間に個人活動の期間があるため、初期の曲の発表と、ユニットへ専念する時期を分けると経緯が分かりやすくなります。
Creepy Nutsが経験した大きな転機
デビュー前の二人には、技術を磨く活動が外部からの評価や、新しい出演の場へつながる転機がありました。R-指定は「ULTIMATE MC BATTLE」、通称UMBの大阪大会を5連覇し、2012年、2013年、2014年には全国大会で3年連続の優勝を達成しています。同大会で史上初の全国3連覇という結果は、地元の現場で積んできた即興のラップを、全国の大会で示した実績でした。2015年にはテレビ朝日系で『フリースタイルダンジョン』が始まり、R-指定も挑戦者と対戦するラッパーとして出演します。クラブや大会へ出向いた人が見る表現を、テレビを通じても見られるようになった点で、活動の接点が変わりました。一方、DJ松永もユニットの仕事を続けながら大会へ挑み、2016年の「DMC JAPAN DJ CHAMPIONSHIPS」シングル部門で2位となっています。ラッパーの伴奏を担う人という説明だけでなく、自身の演奏技術を競う場で結果を残したことは、二人の役割を理解する材料になります。ただし、大会の結果やテレビ出演が、そのままユニットの曲を届ける方法になるわけではありません。曲を知らない人にも、二人の音楽を楽しんでもらう経験が必要でした。
そこで大切だったのが、ヒップホップの外にも出ていくライブです。2015年には「やついフェス」に出演し、その後もバンドや他ジャンルの出演者と同じ場に立つ機会を重ねました。二人は後のインタビューで、自分たちを初めて見る人に、フリースタイルやスクラッチなどを見せて関心を引いた経験を語っています。R-指定は、ヒップホップに詳しくない人でも言葉が聞き取れ、内容を面白いと感じられるラップを大切にすると説明しています。DJ松永にとっても、ライブは普段の制作や練習で積み上げたものを出す場所でした。こうした姿勢から分かるのは、専門的な知識のある観客だけを前提にしない演奏を考えていたことです。大会は技術を競う場ですが、フェスでは初めて聴く人をその場の音楽へ巻き込む力が問われます。二人にとって大きな転機は、技術を評価されることと、その技術を作品の楽しさとして伝えることを、別々の課題として経験した点にあります。バトルやDJ大会での成果に加え、異なる観客の前で演奏した時間が、ユニットとして聴かれるための土台になりました。
Creepy Nutsがデビューにつながったきっかけ
メジャーデビューへ至る過程で重要なのは、個人の出演歴だけでなく、Creepy Nuts名義で紹介できる作品が育ったことです。2016年1月20日には初のミニアルバム『たりないふたり』を発売しました。表題曲や「合法的トビ方ノススメ」などを収録し、二人の感覚と、ライブでも楽しめる言葉やリズムをまとめた作品です。技術を競う場での姿を知っていた人にも、自分たちがどのような曲を作るユニットなのかを伝えられる音源になりました。同年春の初ツアーについては、当時のインタビュー記事で全6公演中5公演が完売したことが紹介されています。音源だけでなく、二人のライブを見に来る観客との接点も作られていた時期でした。続く2017年2月1日にはミニアルバム『助演男優賞』を発表しています。同作は、表題曲から「どっち」「教祖誕生」「朝焼け」「未来予想図」へ進む構成で、一人の人間の思考の流れとしても捉えられる作品でした。本人たちは曲同士のつながりについて説明しており、短い音源集でも、一曲ずつの個性と全体のまとまりを考えていたことが分かります。初期の二作を通じて、Creepy Nutsの名前が、個人の大会実績に加え、楽曲と作品の内容でも紹介される段階へ進んでいます。
そして2017年4月9日、全国ツアー「いつかのエキストラ、ライブオンステージ。」の最終公演を東京・LIQUIDROOMで開催し、ステージ上でソニーミュージックからのメジャーデビューを発表しました。新しい活動体制への移行を、自分たちの曲を聴きに来た観客へ直接伝えた出来事です。この公演では『助演男優賞』の曲も披露され、初期に重ねた表現と、今後の活動の発表が同じ場に置かれました。デビューのきっかけを説明する際には、この発表日と、実際のデビュー作品の発売日を混同しないことが大切です。4月にメジャーへ進むことを公表し、その後に作品の発売へ向けて準備する流れでした。また、確認できる経緯は、音源の発表、ツアー、ステージでのメジャー移籍発表です。どの一曲や一回の出演だけで契約が決まったと断定することはできません。二人が積み重ねた作品と実演があり、その継続の中でメジャーへ進んだと捉えることができます。大会での実績が技術を示し、ミニアルバムが音楽の内容を示し、ツアーが観客との接点を作ったことを合わせて見ると、デビューへ向かう活動の流れが具体的になります。
Creepy Nutsのデビュー当時の活動
Creepy Nutsがメジャーデビューを果たしたのは、2017年11月8日です。シングルのタイトルは『高校デビュー、大学デビュー、全部失敗したけどメジャーデビュー。』でした。当初は8月2日の発売予定でしたが、一部内容の権利処理に不備が判明し、発売が延期されています。4月の移籍発表から、予定通りに作品が発売されるまで一直線だったわけではありません。一方、延期の間もライブ活動は続き、2017年には「SUMMER SONIC」や「ROCK IN JAPAN FESTIVAL」へ出演しました。後者では、発売前の「メジャーデビュー指南」を披露したことが当時のライブレポートに記録されています。デビュー作品は「メジャーデビュー指南」、ラジオ形式の「“悩む”相談室メジャーデビュー特別編」、「だがそれでいい」という構成でした。「メジャーデビュー指南」は、地元の友人から偉そうに助言されるやり取りを、一人二役のラップで表現する曲です。新しい環境へ進む自分を一方的に格好よく見せるのではなく、周囲の視線や自分の気持ちを会話の形で描いています。デビューそのものを曲の題材にすることで、その時点の立場をCreepy Nutsらしい言葉へ変えていました。
シングルに長い会話のパートを挟んだことも、当時の活動を理解するポイントです。R-指定は制作時のインタビューで、普通の形で発表するより、驚きのあるものを作りたいと考え、ラジオを入れる案を出したと話しています。その構成には佐藤満春も参加しました。過去の気恥ずかしい経験を会話で紹介し、最後に「だがそれでいい」へつなぐことで、会話自体が曲を聴くための前置きになる設計です。音楽とトークが互いに関係するため、デビュー作品を通して聴くと、曲単体とは異なる意味が見えてきます。「だがそれでいい」も、過去の気恥ずかしい振る舞いや失敗を、現在につながるものとして捉える曲でした。作品全体は、新しい場所へ進む自分に向けられる助言、過去の失敗を語る時間、それを受け止める曲という流れを持っています。メジャーデビューは成功した姿だけを示す発表ではなく、不器用な過去も含めて自己紹介する場になりました。二人がそれまでの活動で育てた、会話の面白さ、自分自身への視線、ラップと音の技術を、初めて触れる人にも届けようとした作品です。
Creepy Nutsのデビューがその後の活動に与えた影響
メジャーデビュー後に具体的に広がったのは、作品の発表と、音楽や会話を届ける活動です。2018年4月11日には初のフルアルバム『クリープ・ショー』を発売しました。ミニアルバムとデビューシングルで示してきた表現を、より長い作品の中で展開する段階へ進んでいます。同年にはワンマンツアー「クリープ・ショー2018」も開催し、大阪、東京、新潟を含む各地で公演を行いました。デビュー前に初見の観客へ向き合ってきた経験を持ちながら、今度は新しいアルバムを聴いて来た人へ、まとまったステージを届ける活動です。また、同じ4月には『Creepy Nutsのオールナイトニッポン0』のレギュラー放送が始まりました。デビュー作品で音楽とトークを組み合わせていた二人に、毎週会話を届ける場ができたことは、その後の活動を特徴づけています。音源だけで名前を知った人が話し方や考え方に触れ、ラジオから知った人が楽曲へ進む接点も生まれました。この広がりは、メジャーという肩書だけで説明するより、二人が以前から持っていた音楽と会話の表現を、継続的に届ける場が増えたこととして捉えると分かりやすくなります。デビュー直後から、作品、ライブ、ラジオが並行する活動の形が整っていきました。
2022年11月5日に開催されたメジャーデビュー5周年の日本武道館公演は、2017年からの活動を振り返る節目でした。公演を収録した映像作品には、デビュー作の「メジャーデビュー指南」「だがそれでいい」に加え、インディーズ期の曲も収められています。新しい作品を発表するたびに過去を切り離すのではなく、以前の曲も現在の演奏の中で届けてきたことが分かります。また、2025年のアルバム『LEGION』について語ったインタビューでも、R-指定は自分の生活を言葉にすること、DJ松永は必要な音を磨くことに向き合っていました。規模が変わっても、言葉と音を持ち寄って作品を作る関係は続いています。2026年にはドラマ主題歌「Fright」やCMソング「Running Wheel」など、新しい接点を持つ曲も発表しました。デビュー前に培った技術と制作の考え方を持ち、移行後も曲やライブを積み重ねたことで活動が続いています。メジャーデビューの影響は、過去の表現を捨てることより、それを次の作品と新しい聴き手へ運ぶ機会が広がった点にあります。
まとめ|Creepy Nutsのデビューまでの歩みを振り返ろう
Creepy Nutsのデビューまでの道のりには、R-指定とDJ松永が別々に音楽へ惹かれ、自分の表現を外へ出していった経験があります。R-指定は歌詞づくり、オープンマイク、サイファーやバトルへ進み、DJ松永は機材での練習と地元の現場を通して音を扱う力を磨きました。二人は音楽の場で出会い、友人としての関係と、共に演奏したいという考えを重ね、共同制作を始めています。個人作品とユニットの制作を並行した後、2015年に本格始動。インディーズのミニアルバムやツアーで音楽の輪郭を示し、2017年4月にメジャーデビューを発表しました。発売延期を経て11月に届けたデビュー作には、過去の失敗を語り、それを受け止める曲と会話が収められています。デビューは突然の出発点ではなく、二人が技術、作品、観客との接点を積み上げた先にある節目でした。その後のアルバムやラジオにも、初期に育てた表現がつながっています。言葉と音の役割にも注目すると、共同制作の面白さが伝わります。現在の曲から知った人も、インディーズ作品とデビューシングルを続けて聴くと、二人の考え方や、音楽の形が育った過程をより具体的に楽しめるでしょう。


