SEKAI NO OWARIのデビューまでの道のり|活動開始のきっかけ・転機を解説

SEKAI NO OWARIのデビューまでの道のり|活動開始のきっかけ・転機を解説
SEKAI NO OWARIのデビューは、突然の一曲のヒットだけで生まれたものではありません。幼なじみとの交流、自分たちでつくったライブハウス、オリジナル曲の制作、インディーズ作品と全国公演が重なり、2011年のメジャーデビューへつながりました。「RPG」や「Habit」で知った人にとっても、この初期の歩みは、4人の音楽やライブを理解する手がかりになります。この記事では、活動開始前からデビュー直後までに焦点を当て、音楽に向かった理由、制作環境を整えた経験、作品が届く範囲の変化、デビュー作に込めた意図を解説します。2010年のインディーズでの作品発表と2011年のメジャーデビューを分け、その間に何が積み重なったのかを紹介します。
SEKAI NO OWARIの活動開始前の経歴
SEKAI NO OWARIの活動開始前には、メンバー同士が音楽の仕事とは関係のない場所で知り合い、長い時間を共有してきた背景があります。FukaseとSaoriは幼稚園からの知り合いで、FukaseとNakajinは小学校からの友人でした。Saoriは二人より一つ下の学年に当たり、全員が同学年の同級生だったわけではありません。DJ LOVEは高校時代にFukaseと友人になっています。バンドを始めるために担当楽器ごとの人員を募集したという成り立ちではなく、子どもの頃から学生時代にかけて生まれた関係が先にありました。一方、それぞれの進路や生活は同じではありません。Fukaseは高校を中退した後、アメリカンスクールを経てニューヨークへ留学しましたが、現地で体調を崩して帰国したと説明しています。その後、治療を受ける中で精神科医やカウンセラーという仕事に関心を持ち、勉強した時期もありました。音楽家になるという目標が最初から一貫していたのではなく、進路を探しながら思うように進めない時間を経験していたことが、本人の説明からわかります。
Saoriは音楽高校を経て、洗足学園音楽大学のピアノコースで学びました。大学では楽曲の解釈を考えながらレッスンを受け、ピアノ協奏曲のオーディションにも取り組んでいます。本人は当時、授業、アルバイト、仲間との活動を並行する忙しい生活だったと振り返りました。音楽大学の学生として学ぶことと、友人たちと新しい活動を始めることが重なっていたのです。この違いは、結成前の4人を一つの成功物語にまとめすぎないためにも大切です。Fukaseには進路を探した経験があり、Saoriには専門的な演奏教育があり、ほかの仲間にもそれぞれの音楽との関わり方がありました。後に作詞、作曲、編曲、音色の選択を分担するグループになったことを考えると、異なる経験を持つ人が昔からの関係を土台に集まった点が重要です。活動開始前の経歴から確認できるのは、それぞれの生活から共同の制作へ向かった過程です。デビュー以前に積まれた個人の経験が、仲間と一緒に活動する際の違う視点として持ち寄られました。
SEKAI NO OWARIが音楽に興味を持ったきっかけ
SEKAI NO OWARIのメンバーが音楽に興味を持った入口は、一つのジャンルや一つの出来事に統一されていません。FukaseとNakajinの場合、関係を深めるきっかけになったのが、二人とも好きだったゆずの音楽です。中学3年生の頃、Fukaseの上履きに描かれたゆずの絵をNakajinが見て、共通の好みを知ったという話が本人たちから語られています。小学校からの知り合いであっても、好きな音楽について話せるようになったことが、一緒に音楽をする関係へ進むきっかけになりました。後年、ゆずと共演したラジオでも、Nakajinはその出来事がなければバンドもなかったかもしれないと振り返っています。DJ LOVEとFukaseの交流にも、学校で流れた音楽について話し、CDを貸し借りするやり取りがありました。好きな曲を自分だけで聴くことから、誰かと共有し、別の曲を知ることへ広がっていったのです。こうした日常の交流を見ると、音楽は技術を学ぶ対象であると同時に、友人との距離を縮めるものでもありました。
Saoriの音楽への入口は、幼少期から学んだクラシックピアノです。本人は5~6歳で始め、小中学校時代には練習を重ね、コンクールにも参加したと話しています。音楽高校に進んでからも演奏を続け、先生とのレッスンを通して楽曲の受け取り方を考えました。後年の恩師との対談では、クラシックにも解釈の自由があることや、同じ楽譜でも演奏の違いが生まれることが話題になっています。書かれた音を再現するだけではなく、自分の感覚でどう表すかを考える経験があったわけです。その後、仲間とバンドを始めると、ピアノの役割も既存曲の演奏からオリジナル曲の制作へ広がりました。SEKAI NO OWARIの初期作品には、ピアノを中心に聴かせる曲と、電子音やリズムを使う曲が並んでいます。この幅を理解するには、メンバーの音楽への入口が異なっていたことが手がかりになります。ただし、特定の好きなアーティストだけを、すべての曲の直接の由来と決めつけることはできません。好きな音楽を共有した交流と、演奏を学ぶ経験が重なり、聴く側から自分たちで音をつくる側へ進んだと捉えられます。
SEKAI NO OWARIが活動を始めたきっかけ
SEKAI NO OWARIが活動を始めた背景には、Fukaseが先の見えない時期を経て、仲間と一緒に取り組む目的を見つけたことがあります。本人は初期の取材で、何を大事にして生きるのか、何を目標にするのかが見えなかった時期について語りました。その状態から、身近な友人と何かをつくり、楽しむ時間が生まれたことが行動の出発点になっています。2010年のインタビューでは、仲間と楽しむことが目的であり、そのための共通の課題として音楽を使っているとも説明しました。音楽に自信があったから仲間を集めたというより、仲間と活動したいから歌や曲づくりに取り組んだという順序です。「世界の終わり」という名前も、この背景と結びついています。Fukaseは、人生が終わったように感じた地点を振り返ると、そこから仲間との活動が始まっていたと気づき、その思いを名前にしたと話しています。終末を表すように見える言葉に、再出発の意味が込められていたのです。
活動を具体的な形にしたのが、自分たちで音楽の場所をつくる取り組みでした。2006年にFukaseとNakajinがライブハウスをつくろうと話し、Saoriや仲間たちも作業に加わったと説明されています。東京都大田区の羽田方面にある工場の空間を改装し、「club EARTH」というライブハウスを立ち上げました。場所探しでは地元から自転車で湾岸方面を回り、広い空間を探したと話しています。最初は落ち着いて音楽ができる場所が欲しいという発想で、防音工事などを進めるうちに、スタジオだけでなくライブハウスにしようという話になりました。自分たちの手で壁を塗り、木や鉄を使って空間を整える作業が、仲間と音楽を鳴らす環境につながります。2007年には「世界の終わり」としてバンド活動を始めました。制作と演奏の両方に使える場を整えたことで、継続して曲に取り組む土台ができたと捉えられます。仲間と進みたいという意思を、実際に集まって音楽をつくれる環境へ変えたことに、結成までの道のりの特徴があります。
SEKAI NO OWARIのデビュー前の活動
デビュー前のSEKAI NO OWARIは、演奏することと、オリジナル曲を録音できる形に整えることを重ねていました。最初から現在と同じ編成だったわけではなく、初期のコピー・バンドではNakajinがドラム、初代LOVEがベース、Saoriがピアノ、Fukaseがギターとボーカルを担当したと説明されています。その後、既存の曲を演奏する段階から、オリジナル曲をつくる活動へ移りました。初代LOVEが離れた後は、バンドを手伝っていた現在のDJ LOVEが加入し、名前とピエロのマスクを引き継いでいます。Fukaseはその仲間と音楽をしたかったと語っており、加入は担当楽器の条件だけで決まったわけではありません。制作では、演奏を合わせて曲の大枠を決め、その後はパソコンに複数の案を入れて聴き比べる方法を使いました。ドラムやベースの専任メンバーを置かなくても、必要なリズムや低音を曲に組み込める体制が形になったのです。
初期の制作を掘り下げると、完成した曲を一度演奏して終わりにしていたわけではないこともわかります。「世界平和」は、アレンジの方向がなかなか決まらず、長い時間をかけて複数の形を試した曲として語られています。曲の途中にオーケストラを思わせる音を入れたことで、全体がまとまったとNakajinが説明しました。ピアノはSaoriが考え、ギターやリズム、コーラスなどはNakajinが組み立てるなど、制作の役割も分かれていました。DJ LOVEもスクラッチや言葉の相談に関わり、演奏の担当だけでは見えない形で参加しています。Fukaseの書く歌詞を誰かがそのまま再現するのではなく、メンバーが意見を出し、聴こえ方を調整する活動だったのです。初期には自主制作の音源も発表され、2010年のアルバム発売が告知された時点で、すでに過去の自主制作作品があることが紹介されています。作品として発表する際には、ライブで親しまれた形と録音の完成形の間で調整が必要になりました。この試行錯誤が、初めての全国流通作品に収める曲の土台です。デビュー前の重要な活動は、自分たちの曲を繰り返しつくり直し、他の人へ届けられる形にすることでもありました。
SEKAI NO OWARIが経験した大きな転機
SEKAI NO OWARIが経験した大きな転機の一つは、2010年に音源、放送、全国公演が結びついたことです。2月10日にタワーレコード限定シングル「幻の命」を発売し、4月7日にはラストラムからファーストアルバム「EARTH」を発表しました。アルバムは「幻の命」「虹色の戦争」「インスタントラジオ」「青い太陽」「死の魔法」「世界平和」「白昼の夢」の7曲で構成されています。活動拠点と同じ言葉をタイトルに使い、それまでにつくった音楽を一枚にまとめました。この時期には「SCHOOL OF LOCK!」で曲が紹介され、自分たちの会場に来たことのない人にも音楽が届くようになります。Nakajinは後年、仲間とclub EARTHでラジオの前に集まり、曲が流れるのを緊張しながら聴いたと振り返っています。音楽を自分たちの空間でつくる段階から、放送や店頭を通じて知られる段階へ進んだことが、この転機の意味です。同年4月から7月には「Heart the eartH Tour」を行い、音源の発表と各地での演奏が並行しました。
2010年後半は、曲を知る入口とライブの規模がさらに変わりました。11月には「天使と悪魔/ファンタジー」を発売し、「天使と悪魔」がドラマ「霊能力者 小田霧響子の嘘」の主題歌になっています。音楽番組やCDショップとは別に、ドラマを見た人が曲に触れる機会も生まれました。秋のワンマンツアーは12月23日の渋谷C.C.Lemonホール公演へつながり、自分たちの拠点で演奏していたバンドがホールで単独公演を行う段階に進みました。ここで重要なのは、音源の発表と公演が別々の実績として増えただけではないことです。作品を聴いた人が会場へ来られ、公演を見た人が曲を持ち帰って聴けるという関係が生まれています。2011年1月には「EARTH」が第3回CDショップ大賞の準大賞に選ばれました。日々作品を扱うCDショップ店員による評価という形でも、初期のアルバムが認められた節目です。ただし、この受賞だけがメジャーデビューを決めたと断定することはできません。作品を発表し、放送で紹介され、各地で演奏し、ホール公演まで進んだ一連の活動が、次の制作環境へ移る前の実績として積み重なりました。
SEKAI NO OWARIがデビューにつながったきっかけ
SEKAI NO OWARIのメジャーデビューにつながった経緯を考えるうえでは、2010年までの実績と、本人たちが語った環境選びを分けて押さえることが大切です。作品や公演を通して活動の範囲が広がった後、2011年にトイズファクトリーと契約し、8月17日の「INORI」発売からメジャーでの作品発表へ移りました。当時のインタビューでメンバーが強調したのは、メジャーという区分そのものより、一緒に制作したいスタッフがそこにいたことです。好きなアーティストが所属していることに加え、信頼できる人と、やりたいことを実現できる環境を選んだと説明しています。外から見ると新しいレーベルとの契約ですが、本人たちの説明では、作品づくりを進める相手と基盤を選ぶ出来事だったのです。Fukaseを中心とした仲間との制作をやめて、まったく違う活動に置き換えたわけではありません。インディーズ作品から続いていた、自分たちを音楽で伝える活動の延長として、新しい環境へ進んだと理解できます。
2011年には生活の場も変化し、3月にclub EARTHを離れ、新たな場所で共同生活を始めたと紹介されています。活動の始まりを支えた空間から移っても、仲間と制作する関係は続きました。メジャーデビュー作をつくる段階で、もう一つ大切だったのが、バンドをどう知ってもらうかという判断です。初期にはFukaseがすべての曲をつくっていると思われることがあり、本人は実際の制作体制を伝えたいと話しました。そのため「INORI」は、作曲者の異なる3曲を並べるトリプルリードシングルとして発表されます。新しい環境で初めて出す作品を、3人が曲を生み出すグループだと示す機会にしたのです。デビューを目指して急に3曲を書き始めたわけではなく、前からあった曲を選び、その時点で提示する形を決めたと説明しています。こうして見ると、デビューにつながったきっかけは、一つの偶然だけでは説明できません。インディーズで届けた作品と演奏の積み重ね、信頼できるスタッフとの制作環境、そして自分たちの姿を正確に伝える作品の構成が、2011年の新しい出発点で結びついていました。
SEKAI NO OWARIのデビュー当時の活動
SEKAI NO OWARIのメジャーデビュー当時を具体的に知るには、2011年8月17日発売の「INORI」の内容を見るとわかりやすくなります。1曲目の「花鳥風月」はSaoriが作詞、Fukaseが作曲を担当しました。2曲目の「不死鳥」はFukaseが作詞、Nakajinが作曲、3曲目の「Never Ending World」はFukaseが作詞、Saoriが作曲しています。3曲の作曲者が異なるだけでなく、歌詞と曲の組み合わせも変え、複数の個性を一つの作品で示しました。「花鳥風月」のメロディーは発売より前から存在し、Saoriがピアノで繰り返し弾いていた曲だと語られています。「不死鳥」も2010年末のホール公演で披露されており、デビュー前に育てた音楽が新しい作品へ入っています。現在のアルファベット表記の「SEKAI NO OWARI」としてメジャーへ進んだこの時期は、名前を変えるだけでなく、音楽の幅と制作の仕組みを同時に伝えた段階でした。インディーズ作品で知った人にも、初めて聴く人にも、次の側面を示す作品になっています。
同年11月23日には「スターライトパレード」を発売し、その前日の11月22日には初の日本武道館公演を開催しました。メジャーデビューから約3か月で、作品発表と大きな単独公演が並んだ時期です。武道館では「スターライトパレード」を披露し、照明、映像、開演時の演出などを組み合わせてステージをつくりました。公演のレポートでは、Saoriをはじめメンバーが演出の準備に関わったことが紹介されています。音楽を録音して発売するだけでなく、それをどんな空間で体験してもらうかまで考える活動が、デビュー直後から形になっていたのです。続く11月末から12月には「SEKAI NO OWARI TOUR 2011」を行い、各地で演奏を届けました。武道館の一夜だけで活動を区切らず、全国の会場へつなげた流れです。また、前年末の渋谷C.C.Lemonホール公演は2011年6月に映像作品として発売されており、公演に参加していない人も初期のライブを見られるようになっていました。デビュー当時の活動をまとめるなら、新しいシングル、過去の公演の映像化、武道館、全国ツアーが重なった時期です。音源とライブを行き来しながら、グループを知る方法が増えていきました。
SEKAI NO OWARIのデビューがその後の活動に与えた影響
SEKAI NO OWARIのメジャーデビューがその後に与えた影響は、知名度の変化だけではありません。本人たちは当時、新しい制作環境で自分たちのやりたいことを実現できる範囲が増えたと話しています。DJ LOVEも「INORI」の録音から、バンドを代表して機材を選ぶようになり、制作が楽しかったと振り返りました。メンバーの役割が、ステージで演奏する楽器の担当だけでなく、曲の仕上げ方や音色を考える仕事として具体化した時期です。この共同制作は、2012年5月発売の「眠り姫」へ続きます。制作では、曲のメロディーを届けることと、挑戦的なアレンジを組み合わせることについて意見を交わしました。Saoriは「眠り姫」の制作で議論を重ね、その後の曲づくりが進めやすくなったと話しています。デビュー後の経験を通じて、一人の案を採用するだけでなく、ほかのメンバーが別の視点から考え、形を調整する方法が磨かれたと捉えられます。
2012年7月18日には、メジャーで最初のアルバム「ENTERTAINMENT」を発売しました。全16曲には「スターライトパレード」「眠り姫」のほか、インディーズ時代の「天使と悪魔」「ファンタジー」も収録されています。デビューを境に過去の音楽を切り離すのではなく、それまでの曲と新しい制作を同じアルバムにまとめた構成です。楽器の面ではマンドリンや生の管楽器も取り入れ、音色の選択肢が増えました。Fukaseはこの作品を、最初から一つの設定に沿ってつくったものではなく、それまでの時間に生まれた曲の記録として説明しています。つまり、デビュー後に増えた表現も、初期から続く曲づくりの中に位置づけていたのです。同年にはZeppツアーとホールツアーを行い、翌2013年にはアリーナ公演へ進みました。作品をつくる環境の変化と、演奏する会場の拡大が並行しています。後に大規模な舞台や多彩なアルバムを発表するグループになりますが、その背景は、初期に築いた仲間との制作、曲をつくり直す習慣、空間全体を考える演奏活動にあります。メジャーデビューはそれらを完成させて終える地点ではなく、より広い環境で続け、発展させる節目になりました。
まとめ|SEKAI NO OWARIのデビューまでの歩みを振り返ろう
SEKAI NO OWARIのデビューまでの道のりは、昔からの仲間との関係を土台に、音楽に取り組む場所と、自分たちの曲をつくる方法を整える過程でした。好きな音楽を共有する交流、クラシックを学ぶ経験、進路を探した時間が、それぞれの立場から共同の活動へつながっています。club EARTHをつくり、演奏と録音を重ねた後、2010年には「幻の命」「EARTH」を発表し、放送や全国公演を通じて音楽を届けました。2011年のメジャーデビューでは、制作したいスタッフのいる環境を選び、「INORI」で複数のメンバーが曲を生み出す姿を示しています。デビュー直後には武道館と全国ツアーを行い、音源と公演の両方で活動を広げました。この歩みを知ると、デビューが一つの出来事だけで決まったのではなく、仲間、制作環境、作品、演奏の積み重ねによって形になったことがわかります。初期作品を聴く際には、声やメロディーに加え、誰が曲や言葉をつくり、どのように音を組み立てたのかにも注目してみてください。現在のSEKAI NO OWARIへ続く共同制作の原点を、デビュー前後の音楽から感じられるでしょう。


