WEST.のデビューまでの道のり|活動開始のきっかけ・転機を解説

WEST.のデビューまでの道のり|活動開始のきっかけ・転機を解説
WEST.のデビューは、最初から同じ目標を掲げて集まった7人が、そのままCDを出したという単純な物語ではありません。ダンスへの関心、先輩への憧れ、家族や友人の後押しなど、それぞれ異なる入口から芸能活動を始め、関西ジュニアとして舞台や映像作品の経験を重ねました。そして、デビュー直前には発表時のメンバー構成を見直す大きな転機も訪れます。この記事では、ジャニーズWESTとして「ええじゃないか」でCDデビューするまでを中心に、幼少期の背景、応募のきっかけ、下積み時代の仕事、7人での出発を選んだ経緯を解説します。作品の発売日だけでなく、どの経験が次の一歩につながったのかに注目して、その道のりをたどりましょう。
WEST.の活動開始前の経歴
WEST.の原点を知るには、グループが存在する前の7人を分けて見ていく必要があります。CDデビューを迎えたのは、重岡大毅、桐山照史、中間淳太、神山智洋、藤井流星、濵田崇裕、小瀧望です。中間は1987年生まれ、濵田は1988年生まれ、桐山は1989年生まれで、重岡は1992年生まれ、神山と藤井は1993年生まれ、小瀧は1996年生まれ。最年長と最年少には約9歳の年齢差があり、同級生同士で結成したグループではありません。出身地は、中間、濵田、重岡、神山が兵庫県、桐山、藤井、小瀧が大阪府です。関西出身という共通点はありますが、幼少期の生活や関心まで一様だったわけではありません。例えば、中間は小学校から中学校にかけて台湾で6年間暮らした経験があります。関西にルーツを持ちながら、海外で学校生活を送っていた時期もある人物です。一方、藤井は子どもの頃にサッカーに取り組んでいたと振り返っています。後の舞台上の姿だけを見ると分かりにくい、芸能以外の日常がそれぞれの出発点にありました。
桐山は芸能事務所に入る前からダンスをしており、身体を使って表現することが仕事への関心につながっていました。こうした背景を比べると、全員が幼い頃から歌手になる進路を固めていた、とひとまとめにはできません。また、7人が一度のオーディションで同時に選ばれ、その場でWEST.を結成したわけでもありません。それぞれが事務所に所属した後、関西ジュニアの活動を通じて接点を持ち、後に同じデビューグループへ集まっていきます。ここでいうジュニアは、CDデビュー前から公演や番組などに出演する立場であり、芸能活動を始めた日とCDデビュー日は別です。この区別をすると、デビュー時にすでに演技やステージの実績があった理由も理解できます。2014年4月のCD発売時、最年少の小瀧は17歳、最年長の中間は26歳でした。同じ新人グループでも、それまでに過ごしてきた学校生活や芸能活動の時間には違いがあったのです。WEST.の出発を支えたのは、同じ年齢や経歴ではなく、異なる背景を持つ人たちが関西の現場で経験を共有していく過程でした。
WEST.が音楽に興味を持ったきっかけ
Hey! Say! JUMPの音楽への関心は、メンバー全員に共通する一つの体験から始まったものではありません。中でも、幼少期のダンスが進路に直結したのが知念侑李です。知念は3歳からダンスを習い、母親と訪れた嵐のコンサートを通じて、同じ世界に入りたいと考えるようになりました。憧れの存在として挙げているのは嵐の大野智で、歌とダンスを舞台上で見せる姿が、自分の目指す仕事の具体像になっていました。音楽を聴いて楽しむだけでなく、その音楽に合わせて踊り、観客の前で表現することまでが、幼いころからの関心の中にあったのです。映画のイベントでも、幼稚園のころには嵐の後ろで踊ることを夢見ていたと話しています。こうした発言から分かるのは、憧れたステージに踊り手として参加したいという思いが早くからあったことです。知念の原点を知ると、歌とダンスを組み合わせるアイドルという活動形態を選んだ背景が見えてきます。
ただし、実際に芸能活動へ入ってからの仕事は、望んでいたダンスだけではありませんでした。静岡で暮らしていた時期には映画やドラマなど演技の仕事が中心となり、踊りたい気持ちとの違いに悩んだことも本人が明かしています。中学生のころに上京したという経緯も、ダンスを軸に活動したいという希望を考えるうえで欠かせません。憧れができた段階と、その憧れに近い仕事を継続できる段階の間には、別の分野の出演経験もあったわけです。一方、髙木雄也はラジオで、入所前に見たKinKi Kidsのコンサートについて、音の大きさや花火などの演出に驚いた思い出を語っています。こちらは入所理由そのものと断定できる話ではありませんが、客席で受け取った音楽体験を知る具体的なエピソードです。同じコンサートでも、知念には踊る側への憧れがあり、髙木の記憶には会場全体を使う音と演出の印象が残っています。本人の発言を分けて読むことで、音楽との出会いを一律の美談にせず理解できます。グループの音楽的な原点には、曲そのものだけでなく、身体を動かす楽しさや、生の会場でしか味わえない体験も含まれていました。
WEST.が活動を始めたきっかけ
芸能活動を始める具体的な一歩は、本人の関心だけでなく、応募を後押しした周囲の存在によっても異なります。桐山は12歳で事務所に入りましたが、その前には、応募の書類をテレビ局へ送っていたという経緯がありました。書類が事務所へ届き、オーディションにつながったと本人が振り返っています。芸能界に入りたいという意欲はあっても、最初から応募先や仕組みを熟知していたわけではなかったことが分かるエピソードです。中間の入口は、台湾で暮らしていた時期にさかのぼります。小学6年生の頃、KinKi Kidsの台湾公演に関連して募集された台湾ジュニアのオーディションに応募しました。日本国内で履歴書を送るという経路とは異なり、居住していた台湾での公演と募集が、芸能活動に接する機会になったのです。中間が後に関西ジュニアとして活動することを考えると、海外での生活と関西での芸能経験は別々の話ではなく、一人の経歴の中でつながっています。ただし、この応募時点で将来のWEST.への参加が決まっていたわけではありません。
藤井は、サッカーをしていた頃に親が履歴書を送り、オーディションへ行ったと説明しています。自分で応募を企画した桐山とは、行動を起こした人が異なります。重岡も、友人から一緒に履歴書を送ろうと誘われたことをインタビューで話しています。一人では応募しにくいと感じた友人の誘いが、本人にとっても芸能の世界へ進む入口になりました。重岡が応募したのは中学2年生の頃で、知り合いの女子が書類の準備を手伝ってくれたそうです。その後、一次審査の合格通知を受け取った段階では満足していたものの、母親に背中を押されてオーディションへ進みました。さらに本人は、初めて安田章大のバックでステージに立った時、客席を前に強い高揚感を覚え、芸能活動が生活の中心になったと振り返っています。この経験を通じて、デビューしたいという意識が強まったことも語っています。応募を決めるまでと、仕事を続けたいと考えるまでの間に、実際のステージ体験があったのです。入所前には歌やダンスの経験がなかったという重岡の話は、始めた時点の技能だけでその後が決まるわけではないことも示しています。家族や友人による後押しで入口に立ち、現場で感じた楽しさが本人の目標へ変わっていく。こうした個人ごとの変化を経て、関西ジュニアとして公演を重ねる日々につながりました。
WEST.のデビュー前の活動
CDデビュー以前の仕事は、関西ジュニアの公演だけに限られていません。2008年には、桐山と中間が日本テレビ系ドラマ「ごくせん」第3シリーズに出演しました。2人はB.A.D.として活動していた時期で、連続ドラマへの出演により、コンサート会場に来るファン以外にも名前や顔を知ってもらう接点が生まれました。2009年公開の「ごくせん THE MOVIE」にも出演しており、テレビから映画へと演技の経験を重ねています。若い世代のメンバーにも映像の仕事が広がり、2012年3月31日には「寮フェス!~最後の七不思議~」が公開されました。重岡、神山、藤井、小瀧ら、当時の7 WESTのメンバーが出演した作品です。ここで注意したいのは、7 WESTと、後にCDデビューした7人のグループは、名前に共通点があっても構成が同じではないことです。関西ジュニアの中には複数のユニットがあり、メンバーはそうした活動の枠組みの中で舞台や映像の現場に立っていました。
2013年3月30日には、重岡と桐山が中心となる映画「関西ジャニーズJr.の京都太秦行進曲!」が公開されます。映画撮影所を舞台に、若者たちが役者として成長していく物語で、異なる世代の出演者が同じ作品に参加しました。同年には関西ジュニアとして初の全国ツアーも行われ、4月14日の広島から7月7日の東京・NHKホールまで、8会場9公演を巡っています。約3万1100人を動員したこのツアーでは、楽曲の披露に加え、観客を楽しませる企画も組み込まれていました。関西の会場だけでなく各地の観客を前にする経験は、後の全国的な活動を考えるうえで見逃せません。桐山も当時、初めて訪れる土地への緊張と、客席を見て安心した気持ちを語っています。こうした実績から、デビュー前の彼らが舞台の基礎だけを学んでいた段階ではなく、すでに観客や視聴者へ作品を届ける仕事をしていたことが分かります。ドラマでは役柄を演じ、映画では共演者と物語を作り、ライブでは歌やトークで公演を進める。それぞれ求められることが異なる現場を経験していた点が、その後、歌を軸にしながら演技やバラエティーにも活動を広げる土台になりました。
WEST.が経験した大きな転機
デビューまでの道のりで、グループの形そのものが変わったのが2013年末から2014年初めです。年越しのカウントダウンコンサートでは、重岡、桐山、中間、小瀧の4人によるデビューが発表され、当初はジャニーズWEST4という名前が示されました。この時点で、濵田、神山、藤井はデビューメンバーに含まれていませんでした。それまで関西ジュニアとして同じ現場に立っていても、一緒にCDデビューできるとは限らない状況だったのです。中間は後の会見で、いったんは4人で進む決心をしたものの、年明けの関西ジュニアのコンサートで3人の姿を見て、互いの力を生かすには一緒のグループであるべきだと考えた、と説明しています。そこでメンバーは、7人の体制で活動したいという希望を当時の事務所側に伝えました。発表された構成を受け入れるだけでなく、自分たちが目指すグループの形を提案したことが、この時期の重要な変化です。長く同じ現場で活動していた経験が、誰と組みたいかを判断する根拠になっていました。
当初の発表に含まれなかった側の気持ちも、単純な待機期間として片付けられるものではありません。藤井は会見で、リハーサル中には落ち込んだものの、観客の前では笑顔でいようとしていたことを明かしています。神山も、この先どうするかを考え、家族にも気を使わせたと話していました。つまり、後から7人でのデビューが実現したと知って振り返ると短い期間に見えても、当事者には進路を考える切実な時間だったのです。一方、4人が最初に選ばれた詳細な理由について、本人たちの会見で明確な説明が示されていたわけではありません。人気や実力の順位によって決まった、といった解釈を加えるのは適切ではないでしょう。確認できるのは、最初の発表後に本人たちが希望を伝え、7人での出発へ変更されたという流れです。この転機には、デビューという機会を得ることに加えて、どの顔ぶれでその先の仕事を担うかという選択がありました。同じ舞台で培った関係を、正式なグループの構成へつなげた点に、この出来事の重みがあります。後の活躍を知っているからこそ順調な準備期間に見えてしまいますが、実際にはCD発売を前に、活動の前提を本人たちが問い直す局面を経験していました。
WEST.がデビューにつながったきっかけ
7人での出発を具体的な姿として示したのが、2014年2月5日に東京・日生劇場で開幕した「なにわ侍 ハローTOKYO!!」です。2月28日まで上演されたこの舞台で、ジャニーズWESTは7人のグループとしてお披露目されました。作品には、4人のもとに3人が加わるという、実際の経緯に重なる展開が組み込まれていました。現実の出来事をそのまま記録したドキュメンタリーではありませんが、メンバー構成が変わった意味を、説明だけでなく芝居や歌を通して観客へ届ける場になったのです。ここは、舞台で評価されて初めてデビューが決まった、と順序を入れ替えないことが大切です。7人で進む方針を受けて、その姿を公に示したのがこの公演でした。ジュニア時代に積んできた演技と音楽の経験を、今度は自分たちのグループを紹介するために使う段階へ進んだといえます。東京の劇場で一定期間公演を行うことも、関西を基盤としてきた彼らが、新しい名前と構成を観客に覚えてもらう機会になりました。
この時期の会見には、単にCDを発売したいという希望を越えて、デビュー後に何をするかという見通しも表れています。桐山は歌を活動の中心に置きながら、ドラマや舞台にも取り組みたいと説明しました。神山は歌やダンスに加え、アクロバット、楽器、演技も含めて幅広く活動したいと話しています。中間は語学を生かした海外での仕事にも目を向けていました。すでに経験した仕事や得意分野を持ち寄り、グループとして見せられるものを増やそうとしていたことが分かります。また、この公演の映像は後に商品化され、CDデビュー前のお披露目を振り返れる作品として残りました。最初のシングルの初回盤にも公演のダイジェスト映像が収録されており、舞台で伝えた出発の物語と、音源で知るグループの姿が結び付いています。WEST.のデビューを一つの偶然や一人の推薦だけで説明するのは難しく、確認できる経緯は、関西での活動実績、メンバー自身の意思表示、7人での舞台、そしてCD発売という連続したものです。日生劇場の公演は、その中でも、内部で決まった方針を観客に届く表現へ変える役割を果たしました。デビュー曲の発売を待つ間にも、7人は実際に同じ舞台に立ち、グループとしての第一歩を踏み出していたのです。
WEST.のデビュー当時の活動
ジャニーズWESTは2014年4月23日、シングル「ええじゃないか」でCDデビューしました。発売に先立つ4月20日には、大阪のあべのハルカスでデビュー会見を実施しています。東京の劇場でグループをお披露目した後、CD発売の節目を大阪でも伝えた流れには、関西を活動の原点とする姿勢が表れています。「ええじゃないか」は、タイトルの言葉を繰り返す親しみやすいフレーズと、関西らしい言葉遣いを取り入れた楽曲です。歌詞を細かく知らなくても印象をつかみやすく、テレビやイベントで初めてグループを見る人に、明るくにぎやかな方向性を伝える入口になりました。作品は、初回盤の「なにわ侍盤」「忍ジャニ盤」「WEST盤」と通常盤などで展開され、映像や収録内容を通して、歌以外の活動にも触れられる構成になっています。購入者がジャケットなどを選べる「MY BEST CD」という販売企画もあり、デビューの段階から複数の形で作品を届けていました。最初のCDは一曲を世に出す機会であると同時に、グループの名前、顔ぶれ、舞台や映像での姿をまとめて紹介する役割を担っていたのです。
「ええじゃないか」は発売初週に約26万2000枚を売り上げ、オリコン週間シングルランキングで初登場1位を獲得しました。これは発売時の具体的な成果ですが、それだけでデビューまでの事情を説明できるわけではありません。下積み時代から応援していた人にとっては待っていた作品であり、新しく知った人にとっては最初の接点になるという、異なる役割が重なっていました。同年春には、大阪松竹座と東京・新橋演舞場で「なにわともあれ、ほんまにありがとう!」を上演しています。この公演は、歌を聴かせる場面だけでなく、芝居の「道頓堀一丁目中間んち物語」なども組み込んだ内容でした。CDデビューを境に、それまでの舞台経験を切り離したのではなく、歌、ダンス、芝居を一つの公演にまとめる形で生かしています。収録映像では「ええじゃないか」に加え、ジュニア時代から披露していた楽曲にも触れられ、以前からの活動とデビュー後を続けて捉えることができます。発売記念の宣伝と劇場での実演が並行していたことは、彼らの出発の特徴です。CDを通して名前が広がる一方、客席の前で表現を届ける仕事も、デビュー当時から活動の中心にありました。
WEST.のデビューがその後の活動に与えた影響
CDデビューによる変化の一つは、個々の出演歴が、同じグループの活動として見えるようになったことです。2014年6月7日には、重岡、小瀧、神山、中間、桐山らが出演する映画「忍ジャニ参上!未来への戦い」が公開されました。ジュニア時代から続いていた映画への参加が、CDを通して彼らを知った人にも届く時期に重なります。8月6日にはファーストアルバム「go WEST よーいドン!」を発売し、シングル一曲だけでは伝わらない音楽を、まとまった作品として届ける段階へ進みました。さらに10月8日には、両A面シングル「ジパング・おおきに大作戦/夢を抱きしめて」をリリースしています。関西の言葉やにぎやかさを前面に出す楽曲と、異なる曲調の楽曲を並べることで、デビュー曲から入った聴き手にも別の表現に触れる機会が生まれました。短期間に映画、アルバム、次のシングルと接点が増えたことにより、初めて知った人が次に見るもの、聴くものを選べるようになったのです。
翌2015年には、第29回日本ゴールドディスク大賞で邦楽部門のニュー・アーティスト・オブ・ザ・イヤーを受賞しました。デビュー年の作品の成果が、新人アーティストとして評価された出来事です。同年4月22日にはミニアルバム「パリピポ」が発売され、初のコンサートツアーへとつながっていきます。ジュニアとして合同公演に参加していた時期を経て、自分たちのグループ名と作品を掲げて公演を行う立場になった点は、大きな変化でした。一方で、活動の手段はゼロから作ったわけではありません。先輩の姿に憧れて始めた歌やダンス、個人で練習してきた楽器、舞台で経験した芝居、観客とのやり取りなど、デビュー前の蓄積が新しい公演を支えています。また、結成直前にメンバー構成について意思を示した経緯は、デビューを単なる到達点ではなく、自分たちの選択を実際の仕事で形にしていく出発点として捉える背景になります。ただし、その選択だけが後のすべての成功を生んだと断定はできません。確認できるのは、デビュー直後から継続的に作品を発表し、舞台や映画を含む複数の分野で活動を進めたことです。WEST.の初期を振り返ると、CD発売によって突然別の存在になったというより、下積みで身に付けた表現を、グループ自身の作品と公演へ展開する道が開かれたといえるでしょう。
まとめ|WEST.のデビューまでの歩みを振り返ろう
WEST.のデビューまでの歩みは、異なるきっかけで芸能活動を始めたメンバーが、関西ジュニアの現場で経験を共有し、同じグループとして出発するまでの過程です。先輩のパフォーマンスへの憧れ、家族や友人による応募の後押し、身近な楽器との出会いなど、入口は一つではありませんでした。活動を始めてからは、コンサートに加え、「ごくせん」や映画への出演を通して、歌やダンス以外の表現も経験しています。最も大きな転機は、4人でのデビュー発表後に本人たちが希望を伝え、7人での出発へ進んだことです。「なにわ侍 ハローTOKYO!!」でその姿を披露し、2014年4月23日には「ええじゃないか」でCDデビューを果たしました。その後のアルバムや公演にも、デビュー前の経験が引き継がれています。歌唱、ダンス、演技、楽器と、初期から複数の表現に取り組んでいた点も見逃せません。この道のりを知ると、デビュー曲のにぎやかさだけでなく、その歌を届けるまでに重ねた仕事や選択にも目を向けられます。初期の音源と舞台映像をあわせて楽しめば、ジュニア時代の経験がどのようにグループの表現へつながったのかを、作品そのものから確かめられるでしょう。


