YOASOBIのデビューまでの道のり|活動開始のきっかけ・転機を解説

YOASOBIのデビューまでの道のり|活動開始のきっかけ・転機を解説
YOASOBIのデビューは、二人が別々に続けていた音楽活動と、小説を楽曲に変える新しい企画が出会ったことで実現しました。Ayaseはバンド活動からボーカロイド制作へ進み、ikuraとして歌う幾田りらは、弾き語りやオーディション、動画の発信を重ねていました。二人がどのような経験を積み、なぜ一緒に作品を作ることになったのかを知ると、デビュー曲「夜に駆ける」の背景も見えてきます。この記事では、活動開始前の音楽との関わりから、個人での活動、結成につながった転機、最初の楽曲制作と公開までを詳しく紹介します。後年のヒットやツアーを並べるのではなく、デビューを可能にした出来事のつながりと、活動初期に生まれた表現の特徴を解説します。
YOASOBIの活動開始前の経歴
YOASOBIを結成する前のAyaseと幾田りらは、それぞれ異なる環境で音楽経験を積んでいました。Ayaseは山口県宇部市の出身で、幼少期からクラシックピアノを学んでいます。祖母がピアノ講師だったことから、3歳ごろには楽器に親しみ、5歳ごろから本格的な環境で練習するようになりました。コンクールにも参加し、中学校1年生ごろまでピアノに取り組んでいたと振り返っています。現在の活動だけを見るとパソコンで曲を作る人という印象を持つかもしれませんが、その前には楽器を演奏して音楽を学んだ時期がありました。一方、幾田りらは東京都出身で、小学校1年生ごろにピアノ、小学校6年生ごろにギターを始めています。小学生の時期にはミュージカルの劇団に所属し、中学校から高校時代にかけてはオーケストラ部でトランペットを演奏しました。ユニット結成以前の幾田りらの活動には、独唱だけでなく、舞台での表現や合奏に触れる時間もあったのです。
その後、Ayaseはバンドのボーカリスト、幾田りらは自作曲を歌うシンガーソングライターとして、それぞれ人前で音楽を届ける道へ進みました。ここで押さえておきたいのは、YOASOBIが二人にとって初めての音楽経験ではなかった点です。結成前から、Ayaseにはバンドで楽曲を作って歌う経験があり、幾田りらにはギターを弾きながら自分の言葉を歌う経験がありました。二人が後に担当する「制作」と「歌唱」は、それまでの活動の一部分をユニットの中で中心的に担う形です。Ayaseも歌い手であり、幾田りらも曲を作る人なので、単純に作曲しかできない人と歌唱しかできない人が組んだわけではありません。この背景は、レコーディングで歌い方を話し合う関係にもつながっています。また、二人は同じ地元や学校で長年活動していた仲間ではなく、個人で発信していた作品を通じて後に出会いました。結成前の経歴は、ユニットとしての下積み期間とは区別して見る必要があります。別々の活動で身につけた経験が、2019年に始まる企画の中で組み合わされたと考えると、デビューまでの流れが明確になります。まずは二人の個人活動が先にあり、その後にYOASOBIが生まれたという順序を理解することが重要です。
YOASOBIが音楽に興味を持ったきっかけ
Ayaseが音楽に興味を持つきっかけは、一つのジャンルや一人のアーティストに限られません。子どものころにはピアニストになることを思い描いていましたが、テレビでORANGE RANGEの演奏を見たことで、ポップスやロックへの関心が強まりました。初めて購入したCDはアルバム『musiQ』で、それまで学んでいたクラシックとは異なる音楽を聴くようになります。さらに小学校6年生ごろにEXILEに出会い、歌やステージでのパフォーマンスに憧れました。本人は中学生のころ、家族に歌手になりたいと話していたと語っています。その後はマキシマム ザ ホルモンやONE OK ROCKなどを聴き、バンドのボーカリストを目指す方向へ関心が具体化しました。また、aiko、スキマスイッチ、コブクロといったJ-POPも音楽的なルーツとして挙げています。後年のインタビューでは、ボーカロイドを使うときもJ-POPを作っている意識があると説明しており、聴きなじみのよいメロディーへの関心は、制作方法が変わっても続いています。
幾田りらの場合は、家の中に歌や楽器が自然にあることが音楽との出会いでした。父親がギターで弾き語りをする姿を見て育ち、いつからかを特定できないほど幼いころから歌手になりたいと思っていたと話しています。幼少期には米国で暮らしていた時期もあり、洋楽にも親しんでいました。小学生のころにはディズニーチャンネルの作品を見て、そのサウンドトラックを聴き、英語の歌を覚えて歌うこともありました。一方、父親がフォークソングを好んでいたことから、ギターを教わり、フォークやカントリーもよく聴いています。さらに、自分で曲を作ることへ目を向けるきっかけになったのが、両親の間で歌を贈る出来事です。母親の書いた歌詞に父親が曲を付けて届ける様子を見て、身近な人の言葉とメロディーが人を感動させることに魅力を感じました。歌手への憧れが、歌を自分でも作りたいという気持ちに変わったのです。二人の関心の広がりには、聴く音楽との出会いと、家庭で音楽に触れた経験の両方がありました。Ayaseには演奏から歌へ向かう変化、幾田りらには歌うことから作ることへ向かう変化があり、その後の個人活動へつながっています。音楽を始めた理由を知ると、制作と歌唱をそれぞれ深めていった背景がわかります。
YOASOBIが活動を始めたきっかけ
音楽への憧れを実際の活動へ変える段階で、Ayaseは仲間とバンドを組む道を選びました。16歳のころにバンドを結成し、地元のライブハウスを中心にボーカリストとして活動を始めます。本人の振り返りでは、ライブハウスの支援を受けながらツアーにも取り組み、同じバンドで長く音楽を続けたと説明しています。テレビやCDで見聞きしていた音楽を、自分がステージで演奏する活動へ変えた時期です。その後、21歳で上京し、渋谷や新宿などのライブハウスにも出演しました。ユニット結成前のAyaseには、曲を作るだけでなく、仲間と演奏し、観客の前に立つ日々がありました。ボーカロイドの投稿を始める以前から音楽家としての経験を積んでいたことは、YOASOBIの出発点を理解するうえで重要です。ネットで作品を発表する人として見つかるまでに、別の形で音楽を続けていた時間があったのです。
幾田りらが初めて作詞・作曲をしたのは、小学校6年生のときでした。卒業後に別の中学校へ進む友人のために曲を作り、卒業式の日にギターを持って歌ったと話しています。本格的に自作曲を増やし、歌手になるために行動しようと考えたのは中学校3年生ごろです。憧れていたYUI、家入レオ、大原櫻子が17歳でデビューしていたことを知り、自分も早く動かなければという気持ちが生まれました。15歳ごろから事務所のオーディションを受けるようになりますが、すぐに希望する結果が得られたわけではありませんでした。本人は、その悔しさを力にしてライブ活動へ進んだと振り返っています。ライブハウスに出演し、吉祥寺の井の頭公園やサンロードでも路上ライブを行いました。当時は自作曲にカバー曲を組み合わせて歌い、人に聴いてもらう機会を自分で作っていました。こうした活動は、デビューの話が決まってから始めた準備ではなく、歌手になる道を探すための実践でした。Ayaseはバンドとライブハウス、幾田りらは弾き語りとオーディションを通じて、聴く側から発信する側へ進んでいます。活動開始の形は違っていても、自分の音楽を誰かに届ける場へ踏み出した点は共通しています。その経験がある状態で二人は後に出会い、ユニットの最初の作品づくりへ取り組むことになります。
YOASOBIのデビュー前の活動
YOASOBIのデビュー前に、幾田りらはシンガーソングライターとして作品を作り、演奏や学びの機会を重ねていました。Sony Musicのオーディション「SINGIN’JAPAN」でファイナリストとなり、シンガーソングライター育成講座「the LESSON」へ進んだと本人が説明しています。オーディションでは、自分はボーカリストだけではなく、曲を作って歌う人を目指しているという意思を伝えました。その方向性に合う講座へつながったことは、歌唱力を見てもらう機会が、作詞・作曲を学ぶ機会にもなったという具体的な出来事です。また、アコースティックセッションを行う「ぷらそにか」に参加し、ほかのメンバーとカバー曲を歌い、動画を公開する活動にも取り組みました。一人でギターを弾きながら自作曲を歌うことに加え、他者と声や楽器を合わせる経験が増えていきます。インタビューでは、同年代の音楽家から刺激を受け、自分の表現を第三者の目線で見ることにもつながったと話しています。
個人の作品では『Rerise』などを発表し、幾田りら名義で自分の音楽を届けていました。ライブや作品の発表と並行して、動画にも歌声を残していたことが、この時期の活動を知るうえで大切です。本人によると、CMの歌唱に起用された際にも、「ぷらそにか」の動画をスタッフが見たことがきっかけになりました。動画は既存のファンに向けた発信であると同時に、まだ会ったことのない仕事の相手にも歌声が届く場所になっていたのです。一方、Ayaseはバンド活動の中で楽曲制作と歌唱を経験していました。作曲をしていたことは、後に一人で制作する方法を選ぶ際にも重要になります。バンドの演奏活動が続けられなくなったとき、曲を作る力まで失われたわけではありませんでした。ユニット結成以前の二人には、作品を完成させる経験と、人前で歌う経験の両方がありました。ただし、これらの個人活動の作品や公演を、YOASOBI名義の実績と混同しないことも必要です。YOASOBIのデビュー前とは、二人がすでに音楽家として活動していた一方、まだ一緒の名義で作品を出していない時期を指します。その蓄積があったからこそ、新たな企画への参加が、音楽経験をゼロから始めることではなく、表現の方法を広げる取り組みになりました。
YOASOBIが経験した大きな転機
YOASOBIの誕生につながる大きな転機の一つは、Ayaseが音楽を続ける方法を変えたことです。バンド活動の途中で体調を崩し、活動を休止することになりました。本人は当時、積み重ねてきたものがなくなったように感じ、仲間がいなければ音楽を続けられないと思っていたと振り返っています。そこで出会ったのが、ボーカロイドと歌い手の文化でした。妹が聴いていた曲を通じて関心を持ち、パソコンと歌声を合成するソフトがあれば、一人でも曲を作って発表できることを知ります。初音ミクを購入して制作に取り組み、2018年12月にボーカロイド楽曲の投稿を始めました。歌声を合成する仕組みを使うことで、実際のボーカリストやバンドの演奏を毎回必要とせず、楽曲を完成させられる環境へ移ったのです。本人は、作品を投稿して反応を受け取れることがうれしかったと語っています。活動休止を音楽との別れにするのではなく、新しい制作方法を選んだことが、次の出会いを生みました。
この転向は、単に発表する場所がライブハウスからネットへ変わっただけではありません。Ayaseは後のインタビューで、ボーカロイドを使うことで、人間が実際に歌いながら作る場合とは異なる、自由なメロディーを考えられると説明しています。息継ぎや声の動きに最初から強く制限されず、思い描いた音を形にできる点が、新しい作曲の方法につながりました。一方で、制作の根底には、以前から親しんでいたJ-POPへの関心も残っています。技術や発表媒体が変わっても、聴き手に届くメロディーを作るという意識は継続していたわけです。2019年4月末に公開した「ラストリゾート」は、後に小説を音楽化する企画のスタッフに聴かれ、仕事の声がかかるきっかけとなりました。ここまでの経緯を見ると、バンド活動の中断、ボーカロイドとの出会い、一人での制作と投稿という変化が、順番に次の出来事へつながっています。YOASOBIの作曲家として選ばれた背景には、完成した楽曲を誰でも聴ける形で公開していたことがありました。結果だけを見ると突然の抜擢に見えますが、その前には音楽を続ける手段を探し、実際に作品へ変えた行動があります。Ayaseにとっての転機は、音楽への意欲を保ちながら、実現する方法を変えたことでした。
YOASOBIがデビューにつながったきっかけ
2019年、小説投稿サイトのスタッフがAyaseへ声をかけたことで、YOASOBIの企画が具体的に動き始めました。ソニー・ミュージックエンタテインメントが運営するサイトに投稿された物語を、楽曲とミュージックビデオへ展開する構想です。制作スタッフの証言によると、小説コンテストの受賞作品を音楽と組み合わせて映像化することが、企画の発端でした。曲を作る人を探す中でAyaseの作品が見つかり、その歌詞の世界観や、幅のある楽曲制作が注目されました。つまり、デビューを可能にしたのは、歌手としてのオーディションに合格したという一つの出来事ではありません。小説を別の表現へ変える企画に、ネットで発表されていた作曲家の作品が結び付いたことが直接の入口です。その後、Ayaseとスタッフはボーカリストの候補を探し、Instagramに投稿されていた幾田りらの弾き語り動画へたどり着きました。個人での発信が、ユニットの歌い手として声をかけられる機会につながったのです。
幾田りらは当初、小説を音楽にするという説明だけでは、完成する作品の形を十分に想像できなかったと話しています。それでもAyaseのボーカロイド楽曲を聴き、一緒に取り組みたいと考えました。後に最初のデモを受け取ったことで、企画の方向性が具体的にわかるようになったとも説明しています。新しいコンセプトを言葉で理解するだけでなく、実際の音を聴いて、自分がどのように歌えるかを考えたという流れです。こうして2019年10月、コンポーザーのAyaseとボーカルのikuraによるYOASOBIが結成されました。二人の個人活動を「昼の顔」、ユニットをもう一つの「夜の顔」と捉え、遊び心を大切にしたいという思いが名前にも込められています。制作スタッフの振り返りでは、最初はAyase、ikuraと二人のスタッフによる小さなチームだったと紹介されています。原作を提供する作者と、音楽や映像を作る人が関わり、一つの作品を完成させる形が整っていきました。小説を音楽にする方針、Ayaseの制作力、幾田りらの歌声の三つがそろったことが、デビューへの直接の条件になりました。二人が発信していた音楽が見つかる機会と、その表現を組み合わせる企画が重なったことこそ、YOASOBI誕生のきっかけです。
YOASOBIのデビュー当時の活動
YOASOBIの最初の楽曲は、星野舞夜の短編小説『タナトスの誘惑』を原作とする「夜に駆ける」です。原作は小説コンテスト「モノコン2019」のソニーミュージック賞に選ばれた作品でした。制作では、原作のあらすじを順番に歌へ置き換えるだけでなく、物語の感情をどのようなテンポや音の展開で届けるかが考えられました。制作スタッフは、Ayaseと曲の修正を繰り返し、バリエーションを含めて20〜30曲ほどの案があったと振り返っています。また、原作の盛り上がりに応じて、一度音の高さを下げてから上げる転調も取り入れました。最初から完成形が決まっていたのではなく、曲を共有し、意見を交わし、作り直す過程を経て形になった作品です。Ayaseは、暗い題材をそのまま暗い音楽にするのではなく、ポップな聴きやすさの中に物語の別の側面も含ませようとしたと説明しています。ここに、原作を読み込んだうえで独自の音楽として作る姿勢が表れています。
ikuraにとっても、最初の楽曲は新しい歌唱への挑戦でした。速いテンポや大きな音程の動きは、自分でギターを弾きながら作る曲とは違い、最初の録音では難しさを感じたと話しています。キーについても話し合いながら、音楽として求める響きに向けて歌唱を調整しました。また、男性の視点で描かれた主人公に合わせ、自分の歌い方の癖を抑え、少年のような声を意識しています。制作と歌唱の両側から試行錯誤が行われた後、藍にいなが手がけたミュージックビデオが2019年11月16日に公開され、12月15日に楽曲の配信が始まりました。デビュー時期として11月と12月の両方が紹介されるのは、映像公開と配信開始が別だったためです。さらに2020年1月18日には第2弾「あの夢をなぞって」を配信しました。最初の一曲だけで企画を説明するのではなく、別の物語でも音楽化を実践する段階へ進んだのです。デビュー当時の活動は、原作を選び、曲と歌唱を練り、映像と配信で届けるという制作の積み重ねでした。その方法を実際の作品として示せたことが、次の楽曲制作と、聴き手がユニットを知る機会につながりました。
YOASOBIのデビューがその後の活動に与えた影響
デビューがその後の活動へ与えた影響は、まず、物語を音楽にする方法が、聴き手に触れられる具体的な作品になったことです。2020年には「夜に駆ける」がSNSや動画を通じて広がり、同年6月1日付のBillboard JAPAN総合ソングチャートで初めて1位を獲得しました。本人たちは当時、再生回数やチャートの数字、家族や友人からの反応によって、曲が広がっていることを知ったと話しています。Ayaseは、2020年2月から3月ごろにSNSで少しずつ話題になったと振り返っています。新型コロナウイルス感染拡大に伴い、家で楽しむものを探す人が増えた時期とも重なりました。ただし、その社会状況だけでヒットの理由を説明することはできません。楽曲、映像、原作を行き来して楽しめる作品が、ネット上にすでに公開されていたことが、聴き手との接点になりました。同年5月には「ハルジオン」、7月には「たぶん」などを発表し、扱う物語と歌唱の表現を広げています。
二人の個人活動にも変化が生まれました。幾田りらはインタビューで、YOASOBIをきっかけに自分のソロ活動へ関心を持つ人が増えたと説明しています。一方で、ソロでは自分が曲の物語や構成を考え、YOASOBIでは原作とAyaseの楽曲を踏まえて歌うという違いがあります。別の作り手の表現に向き合う経験は、新しい声の出し方や言葉の置き方を考える機会になりました。Ayaseにとっては、スタッフや歌い手と意見を交わし、一人での制作とは異なる条件で曲を完成させる経験が加わりました。制作スタッフも、修正のやり取りを重ねる中で、求められたものをさらに良い作品へ変えることの面白さをAyaseが見いだしていたと振り返っています。2020年末のNHK紅白歌合戦への初出場、2021年1月の初EP『THE BOOK』の発売へと進み、ネット上の発表からテレビやパッケージでも作品を届ける活動になりました。ただし、デビュー後の変化を理解するうえでは、知名度の上昇だけを見るのでは十分ではありません。二人が制作の方法を共有し、異なる物語でも表現を続けられるようになったことが、継続的な活動の土台です。デビューは一つの到達点であると同時に、個人活動の経験を新しい作品へつなぐ方法が、実際に動き始めた瞬間でした。
まとめ|YOASOBIのデビューまでの歩みを振り返ろう
YOASOBIのデビューまでの道のりには、二人が別々に音楽を続け、表現の方法を探してきた時間があります。Ayaseはバンドでの活動を経て、音楽を続ける手段としてボーカロイド制作を選びました。幾田りらは、自作曲の弾き語り、オーディション、育成講座、セッション動画などを通じて、歌を届ける機会を増やしていました。その作品と歌声が見つかり、小説を音楽にする企画の中で出会ったことが、ユニット結成につながります。デビュー曲の制作でも、曲の修正や歌唱の調整を重ね、原作、音楽、映像が結び付く形を作りました。最初から成功が約束されていたのではなく、個人活動の蓄積と、新しい方法を試す行動が作品へつながった歩みです。2019年の映像公開と配信開始を経て、2020年には別の物語を扱う楽曲も生まれ、活動が継続していきました。デビュー前の経験を知ると、Ayaseのメロディーやikuraの歌声が、どのような背景から生まれたのかも理解できます。「夜に駆ける」を聴き直す際には、原作や映像に加え、最初の作品を完成させるまでの試行錯誤にも思いを向けてみてください。


